昨日、クライエントさんが、
帰られる間際に
「できないことに絶望してはいけないのですね。」と言った。
よく考えれば、
昨日のセッション全体の内容がそういう内容だったと思う。
そして自分もセッション中、様々な場面で、
そのように誘導しながらも、
クライエントさんが「できないことに絶望してはいけないのですね。」
と発したときに、なぜか、とても、はっとしたのだった。
それは、たぶん、
本当に腑に落ちた時に発せられた、
独特の振動数があったからだと思う。
そう、できないことに絶望してはいけない。
私たちは、幼少期からできないことに絶望しろ、と
周囲に何度も何度も押しつけられてきたのだ。
親に学校に友達に、「なぜこれができない?」
「こんなのもできなくて、はずかしくないのか?」
その言葉の裏には、
「できない奴は絶望しろ」というメッセージが込められていたと思う。
できないことに絶望しろ? おかしいだろ。
できないことに絶望なんかしてたら、命がいくらあっても足りない。
できないことと、絶望はイコールではない。
できないことは、ただできないのであって、
そこに絶望感は不要であり、
その絶望感により、
我々は多くのエネルギーを奪われている。
自分の本来の力とエネルギーを奪われているのだ。
昨日のクライエントさんが自身で
「できないことに絶望してはいけないのですね。」と言った言葉は、
同じ言葉でも全く振動数が違った。
人は腑に落ちたとき、本当に腑に落ちたときは、
そこ声の振動数が違うのだと思う。
ヨガナンダ先生にこんな言葉があった。
よ深い集中力をもって語られた言葉は、明確な結果を生ずる力をもつに至る。このような言葉のもつ爆発的振動力は、賢明に使えば人間のいろいろな病気や困難の解消に利用できる。
— 聖者ヨガナンダの言葉 (@YOGANANDA_Words)
この爆発的振動力は言葉の種類にあるのではない。
文字の並びにあるのではない。
発した言葉の、その声の、
その奥の微細な、とても微細な、
振動の中の、ある周波に、
天に突き抜ける、フィールドがある。
それは
本当にわかった人にしか
発せられない言葉と声なのだ。