昨日は、インドのカーストと魂の季節は関係があるのではないか、という記事を書いた。
バラモン(僧侶) = 世界と自分の季節
クシャトリア(軍人) = 道と自分の季節
ヴァイシャ(商人) = 飯と自分の季節
スードラ(労働者) = 親と自分の季節
インドのカースト制度と私の魂の季節の考え方の大きな違いは、
誰もがスードラから始まる、
誰もが「親と自分の季節」から始まる、という点だと思う。
生まれた時からバラモン(僧侶)とか、
生まれた時からクシャとリア(軍人)とか、ありえない。
私が考える魂の季節は
誰もが最初はスードラ(労働者・奴隷)からはじまる。
人の命令に従い、自分の資質を磨く、そこから人生は始まる。
なので、自分がスードラにいてもそこに劣等感など感じる必要もないし、
むしろ、ここをしっかりやらずに、ヴァイシャ(商人)「飯と自分の季節」
に入ってしまうと、売るものが無い。商売にならない。輝かす太陽がない、という事になる。
このスードラの季節「親と自分の季節」はなおざりにできないのだ。
そう、誰もがはじめはそこなのだ。
ここが、一番の土台となる。基盤となる。
何か人生が上手くいかないと感じる時は、
かならず、この「親と自分の季節」の基盤に問題が生じている。
スードラの部分に問題が生じているのです。
昨日、たなだ先生の、
「誰かを救いたい」「誰かの力になりたい」と思う人こそ、一番助けを必要としています。
これ、きちんと階層を通ってきてないと、まったく本末転倒な意識になるんです。
続きは明日。