人に許してもらわなくてもいい。しかし開き直らない。

人の心理は複雑だ。

「あなたのせいよ!」って思っているうちは、

絶対に人生は前に進まない。

自分の人生の良し悪しは、他人の行動で決まると思っているからだ。

その人生は、ずっと、他人に惑わされる人生しか展開していかない。

しかし、私が悪かったんです。

という言葉にも沢山の隠された気持ちがある。

自分が悪かったと思えば、罪を許してもらえる・・とか、

人に受け入れられるとか。

このとき、本当にわるかったと思っているわけではなく、

相手に許してもらい、他人に受け入れられるために

「わるかった」と思っている可能性があり、

この時の「自分がわるかった」は、

結局は他人に認証を求めているだけであって、

やっぱり、他人に支配される人間から脱出していないのだ。

では、何か悪い出来事があったとき、

どう問題を捕えると、人生が前に進むのか!

それは、

その問題を引き起こしたのが自分であり、

でも、自分が悪かったと反省するのではなく、

なぜ、この問題を自分が引き起こしたのかを

事実を事実としてありありとみることが必要なのだと思う。

そのうえで、

自分の意識を変えるのだ。

私が悪かった!ごめんなさい!

には、沢山のパフォーマンスがある。

その心理の底には自己認証欲求が隠されているので、

まずその「許してもらおう」という気持ちを捨てるといい。

「許してもらわなくていい」と思わないといけない。

しかし開き直るのとは違う。

「私はこんな悪いやつだから、よろしく!」とか最低だ。

大変に迷惑だ。

それは他人に甘えて人に迷惑かけてるだけだ。

その甘えをまわりが許さなければ

その人の人生は崩壊するだろう。爆

こんな生き方は、

結局は他人に主導権を渡してしまっているのだ。

そうではなく、許してもらわないことを前提に、

二度とこうしたことが起らないように、

何を自分が望んだのかをひも解くといい。

物事には必ずメリットがある。

例えば、誰かに批難されたとしても、

批難されることで、何かを享受している自分がいる。

そのメリットは、もしかしたら、他人の批難を誘いださなくても、

他の方法で得られるかもしれないのに、

いや、間違いなく他の方法で得られるのに、

私たちのインチャは、非常に子供っぽいやり方で、他人の批難を引き寄せるのだ。

お金がいくらあっても足りないと思う人がいる。

どんなに集客してても、もっと集客したいと思う人がいる。

その「もっと、もっと」と言ってる、子供の自分を放置するかぎり、

最低な現実しか、目の前に広がらない。

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