「現在の目」と講座を受ける時に受け取るもの。

過去とはなんでしょう。

過去とは、過去という絶対的なものがあると、

多くの人は考えがちですが、

でも、その過去の印象は、いつでも変化するものですよね?

自分の「現在の目」が過去の印象を作るのですから、

「現在の目」が変化してしまったら、

過去の出来事の印象はガラリと変わってしまいます。

「現在の目」とは、

経験(認知力の広がり)+精神状態  で出来上がります。

つまり経験値があがれば、過去の印象はがらりと変わることを意味しています。

たとえば、Aさんから結婚詐欺にあったとします。

(たとえがなんですが・・)

詐欺だとわかる前までは、Aさんとの過去は素晴らしい体験でした。

Aさんを素晴らしい人だと思っていました。

しかし、詐欺だったとわかった瞬間に、

過去の体験すべてが、最悪体験になります。

逆もありますね。

付き合ってたBさんを、酷い奴だと思って別れた。

あんなひどい人はいないって思って別れた。

しかし、別れた後、色々思い返し、他の人とも付き合った結果、

Bさんの良さがわかりだして、あの人は実は素晴らしい人だったんだって思う。

そう思うと、その時の体験の一つ一つが実はとても楽しい体験だったんだと認識した。

、という場合もあります。

別にそれは、過去を美化してるわけでも、

現実逃避しているわけでもありません。

過去の印象というのは、いつでも「現在の目」が作っているからです。

「現在の目」とは、

経験(認知力の広がり)+精神状態  で出来上がります。

事実というのは、実はとても多面的で、

一面だけではできておらず、

その時は黒と思ったことも、

視点の広がりを得たあとは 白い部分も見えてくるものです。

つまり事実というのは、白でも黒でもある、というのが本当の事実です。

経験して初めて認知の広がりはできていきます。

個人セッションをバリバリこなして、初めてわかることがありましたし、

講座をバリバリこなして、初めてわかることがありました。

そういうのやってない時には、

完全にわからなかったことがありました。

一人でなんかこなした事ない時には、完全にわからない事があります。

こうしたことは、本当にやってみて初めてわかるものです。

私は、いろんな講座に密かに行きますが、

完全にその講座の先生の主旨に乗っかって講座をうけます。

自分の考えとか、それまでの経験とかを、全部捨てて講座を受けるのです。

そうしないと、絶対に受け取れないからです。

講座はその先生のために受けるのでもありませんし、

また自分を主張するために受けるのでもありません。

自分を成長させるために、より視点をあげるために、

自分を良くするために受けにいきますよね?

このとき、講師の意図に完全に乗らないと、

「講師が意図している効果」を受け取ることができません。

かならず講座には効果がある。

その意図に乗らないならば、その効果は絶対に享受できないのです。

でも、癒しが必要な人は、なかなか、そうはなれないのもよくわかっています。

いろんな講座にでていると、

その講師の先生の意図に乗れずに、

わりと自分勝手にやって、

その自分勝手にやってることを認めてほしいみたいなタイプの方がいます。

それは、その方が今現在、「癒しが必要な状態」にあるので仕方がありません。

「認証欲求」が満たされてないと、自己主張のようなことが起こります。

でも、もし、

そういう段階をすでに終わって、次の段階に進まれているかたは、

ぜひ、その講座の主旨、講師の先生が意図しているテーブルに

完全に乗っかってみることをオススメします。

物事には必ず矛盾した面があります。

A先生は「白」と言ってたけどB先生は「黒」と言っていた。

でも、もし私がA先生の講座を受けているならば、

「白」と思って講座を受けるのです。

「黒」という情報を持っていても、「白」と思って講座をうける。

矛盾した出来事があったとき、

「両方が正しい」

と思って思考するといいのです。

そうすると、本当の真実がみえてきます。

事実というのは、実はとても多面的で、

一面だけではできていません。

その時は黒と思ったことも、

視点の広がりを得たあとは 白い部分も見えてくるものです。

つまり事実というのは、白でも黒でもある、というのが本当の事実です。

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