【子供の心理】禁止されれば必ずそれをやる、それが幼児。

もともと、

子供はわがままな存在でも、

身勝手な存在でもありません。

もしわがままで身勝手だと感じているならば、

それは、子供に幼少期から、強制し躾けすぎたせいです。

「子供は躾けるのがいい」と思い込んだせいで、

それによる副作用に苛まされているのです。

猫は、「ここはだめよ」と禁止すると、

必ずそれをやろうとします。

「ピアノの上だけは乗らないで」というと、

必ずピアノの上に乗ろうとします。

これは子供も同じなんです。

子供が遊んでる時に、「いつまで遊んでるの?」といって遊ぶことを禁止する。

すると、子供は「わざと」遊ぼうとします。

猫と同じですね。

「学校を休むなんて絶対にだめよ」と禁止すると、

子供は何故かわからないけれども、どうしても学校に行きたくなくなる。

わざとその禁止されたことをしようとするのです。

猫と同じですね。

学校に行きたくないのは、

学校が本当に嫌なのでも、

苦痛なのでもなく、

「行かないとダメと」休むことを禁止された記憶があるから、

行かないことを実行しようとする、無意識が発動している可能性があります。

子供に強制すると、この禁止されたことをわざとしようとする、

という奥の奥の深層心理が、いきなり発動します。

これは脳のバグなのですが、

この深層心理の発動が始まると、

なかなか本人の意志で、この呪縛から解かれるのが難しくなります。

思考をすっとばして反射のように、それをやっているからです。

子供をわがままな存在としてみていると、

この「強制し躾けなければいけない」という気持が働き、

子育てがとても難しくなります。

わたしは子供をとても、自由に育てました。

壁に落書きしても何も言いませんでしたし、

外で何時間も遊んでも、暗くなるまで付き合いました。

そう育てていくと、どうなると思います?

我がままになると思いますか?

まったく反対です。

わたしがこうしてくれと言ったら、それをしてくれるようになります。

必ずいう事を聞いてくれるようになるのです。

わたしの子供たちは、長男が4歳で、次男が1才の時でも、

スペインの高級レストランで、

3時間もかかる夕食を、座って大人しく食べることができました。

普段はおとなしく食べなさいとはいいません。

うろうろしたらダメだとか、

座ってないとダメだとか、言わないんです。

楽しく食べることにしか重きを置きません。

でも、ここぞというときだけ、

「座って食べようね」といえば、

3時間でも座ってられます。

これを見た、周りの同じくらいの幼児をつれたオーストラリア人が驚いていました。

「どうして、あなたの子供は、そんな風にご飯を食べられるの?」と。

そのくらい、わたしの子供は、大事な場面では何日でも大人しく食べることができました。

これが、禁止しないで育てた時の子供の姿です。

禁止語を聞かずに育つと、

子供は絶対に親のいう事を聞くようになります。

幼児に禁止語は厳禁、わたしはそう思っています。

猫もそうですね。

猫にも禁止語は厳禁です。

躾けと称して、いろんなことを禁止し、強制していると、

絶対に言うことを聞いてもらえなくなります。

親の言葉に耳を傾けなくなるのです。

子供のお友だちがよく家に遊びに来ていましたが、

そのお友だちのお母さんは、普通のお母さんですが、

色々と厳しく子供を躾けていました。

そうすると、この子供はまず大人の言葉を聞かないという風に、

無意識が発動するようになりました。

わたしが、この子とうちの子ども達と一緒に自転車で近所を走ってたとき、

通りに出る時に、「そこ、止まって、右左みて!!」と私が後ろから声をかけると、

わたしの子供たちは必ず止まって右左見ますが、

いつもいつも、親に厳しく躾けられている子供は、

まず止まりません。

大人の言葉を聞かないように、無意識が発動しているからです。

これは慢性的に、禁止語を聞き続けたために、いう事を聞かなくなった状態です。

絶対に何が何でも、大人の話しを聞かない!という風に無意識が発動するのです。

大きくなっても子供はいろんな場面で、

親が自分を禁止するのではないか?と様子をうかがっています。

そして、禁止したときに、

それを破ろうと行動し始めます。

絶対に塾に行くように強制する、

絶対に学校に行くように強制する、

これらはとても意味がありません。

何度も言いますが、

強制するから、行かなくなるのです。

そういうシステムが脳にあります。

強制しなければ、

子供は勝手に学校に行くのです。

なぜ、学校に行きたくないと思うか。

それは怠慢だからでも、我がままだからでもなく、

たんに、

強制された記憶、

または親が持っている強制欲を薄々感じ、

それを感じるがゆえに、

行けなくなってしまうのです。

エデンの園で、アダムとイブは、

「これは食べてはいけない」と言われた実を食べました。

あたりまえです。

「食べてはいけない」というのは、

「食べなさい」と言ってるも同じ。

浦島太郎に「この玉手箱は開けてはいけません。」

それは「開けなさい」と言ってるも同じ。

鶴の恩返しの「決してのぞいてはいけません。」は、

「覗いてくださいね♪」と言ってるも同じ。笑。

「学校を休むのは絶対にだめ!」は

「学校を休んでくださいね♪」と言ってるも同じ。

全ての禁止は、

「そうしてください」という暗示になっているのです!!!

「〇〇するのは絶対にだめよ」

それはそうしなさいという暗示になっています。

子供と道路を渡るときに、

「飛びだしたら絶対に駄目よ!!!」と金切声をあげて言うのは、

非常に危険です。

そんな風に言いつければ、それは子供に「飛び出しなさい!」と言ってるも同じなのです。

無意識の発動を理解してください。

もし子供に飛び出して欲しくないのであれば、

「飛びだしたらダメ!」と威嚇しショックを与えるのではなく、

とても平常心で、

「ここで止まって車を確認するのがカッコいいんだよ」と

言ってあげましょう。

「車がきたら、止まって、どんな人が乗ってるか見るんだ。」

「車が全くこなくなったら、わたるんだ。」

これを100回、言うのです。

1回言って、わかると思わないでください。

子供にはしてほしいことは平常心で100回言うのです。

一度でも金切声をあげてショックをあたえたら、

オジャンですよ。

同じことを100回、いう事ができれば、

あなたは人を育てることができます。

平常心で100回いう事ができたころには、

もう、一回言えば何でも聞くようになっています。

子供があなたの言葉を聞くことができる様になるのです。

ここまで来なくてはなりません。

これは子育てをしているようでいながら、

自分の心を育てているのです。

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コメント

  1. 能見 より:

    はじめまして
    逆のパターンで、強制の強い親に反発できず、親の顔色を伺って自分をしまいこんでいい子で育ち、大人になってもその呪縛が解けないとか、自分自身の考えがない人になっちゃったとか。
    そう言うのはどういう脳の発動なんでしょうか?

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