もうすぐ世界は激変する。

よく、「思考で判断するな」とか、

「マインドをだまらせろ!」とか、

「考えるな!感じろ!」

みたいなのがあるじゃないですか。

その通りだなと思うのですが、

でも、勘違いも起きるなって思うんです。

ここでいう思考ってなんなんでしょう。

判断ミスするような思考は、ホンモノの思考じゃないですよね。笑

偽物の思考なら、たしかに黙らせておいた方が良いですね。

私達は、ホンモノの思考して、この世界を作っています。

たとえば、

違った民族や、違った種族に出会い、

肌の色だったり、風貌だったり、見た目が違ったりするとき、

その目撃した瞬間に「違和感」をパッと感じると思うのです。

これは、脳のプログラムです。

人はいつもと違うものを見たときには必ず大きく反応するように

プログラムされているので、

何かいつもと違うものを見たときには「驚愕」とか「違和感」とかいうような

言葉で定義されるような反応を、人は必ずします。

しかし、私達は、情報社会で色んな情報を持っていますから、

その「違和感」反応の後に、

その情報を頭の中でサーチして、

ホンモノの思考をして、

「これは、そういう国の人だ」とか

「そういう民族なんだ、だから同じ人間なんだ。」とか

「決して怖い種族じゃない」とか

情報からホンモノの思考をして、その驚愕したりする感覚を静めます。

「大丈夫、同じ人間。同じ地球人よ。」と思考する。

そうして友人になったりします。

でも、もし、このときに、

考えるな感じろ!を信じるならば、

思考を黙らせろ!を信じるならば、

「違和感」が本物になってしまう。。

そうして、その感じたものに従うならば、

その「違和感」に従うならば、

民族同士の争いになり、戦争になる。

事もあると思うのよ。

感じた違和感は、嘘ではないはず。

嘘じゃないし、本当に違和感なのだと思う。

だから、感覚に従ってたらダメじゃん!

もし、感覚だけに従ってたら、戦争しか起きないやん。

ってこともある。

感覚に従って、

違和感あるからやめるとか、

違和感あるからやめるとか、

いや、それが全部悪いことだとは言わない。

きっと、それが正しいときもある。

でも、その違和感が、脳のプログラムのバグであることもあるよ。

その場合は、

違和感に従ってても、意味ない気がします。

違う民族 → 違和感 → 断絶または戦争 →

起きたことに違和感 → 違和感 →戦争OR断絶 → さらに違和感 → 無限ループ

こうなってくると、違和感やその感覚が、脳のバグだとわかります。

人間には思考がある。情報がある。

だから、今、我々は戦争しない世界を、

「感覚を越えて」、作っているのだと思います。

つまり、

思考は、

自然にわき上がるものや、

勝手に反応する感覚を越えて、

ある意味、冷徹に感覚と感情を越えて、

理想を実現するために、

どうしても必要なのだと思います。

もし、感覚にだけ従うならば、

世界は本当に混沌としていく。

ただ、回路のバグを延々にループするだけなのです。

もし本当にマインドを黙らせてしまうのであれば、

世界は未だに縄文時代のまま。

ここはサバンナの世界になってしまいます。

思考はその脳の回路のループを越えるためにある!!!

目の前のコンピューターも、携帯電話も、

縄文時代やサバンナからは生まれない。

沢山の人間の思考の結果であります。

目の前のコップも、手帳も、カバンも、

椅子も机も、

沢山の人間の思考の結果であります。

もし、世界中の人が、

人の意向も考えず、

誰かのために生きる事も無く、

自分だけのために生き、

思考を黙らせ、感覚に従い生きるならば、

目の前に、パソコンも、携帯も、手帳も、電車も

存在していないのです。

つまり、私達が誰かのために生きたり、

人の意向に従ったり、

社会のことを考えたり、

そうした時間があればあるほど、

世界にいろんなサービスが生まれるということ。

携帯もさらに進化し、パソコンもさらに進化するでしょう。

そうして、もうすぐ、世界は激変する。

その時に、自分のことが自分でできるのは当たり前だし、

社会のために生きられるのも当たり前。

違和感や感覚は、時に脳のバグだとわかるのも当たり前。

もう、そんな時代はすぐそこだ。

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