谷原が思う自己肯定感

おっはようごっざいまーす。

自己肯定感って、

自分はそのままでOKだし、

他人もそのままでOKって思うこと

っていう定義があるかと思うんですが、

全ての物事には階層があるんですね。


私達は、人間として、

根本的にOKなんですよ。

たとえば、髪の毛を一本取り出して、

「おまえ!!そんなじゃだめだ!」

とか思わないじゃないですか。


それと同じで、自分という人間、他人という人間、

その個体に対して、

この機能や人間としての形とかに、

「だめだ」とは思わない。


野の草や木や花に

「おまえ!!そんなじゃだめだ!!」

って言ってたら

キチガイみたいじゃないですか。笑


それと同じで、俺たち人間はそのままでOKなんです。

根本的に。



だけれども、人間には

顕在意識

というすごいものがあるんですよ。


草や木や動物たちには、潜在意識しかないとおもうのですが、

俺たち人間には顕在意識というものがある。



だから、未来や過去を思うことができ、

なんとなくではなく、


意図的により良いものを追求したり、

高みを目指すことができるわけです。


ここの、高みを目指す思考というのは、

元々の根本的なところにある、土台にある、

だって人間だもの的な、

「人間OK」

「人間、まるっとOK」


という階層とは別の階層なんですね。





ここをごっちゃにしてしまうと、


もう自己肯定感とかって、何のことだかわからなくなります。


違う階層を持ち出して、議論をはじめてしまうから、

さっぱりなんのことだか、

全てが混沌としてきてしまうんですね。

もっと美しくなりたい、

もっと美味しい料理が作りたい、

もっと素敵な絵が描けるようになりたい、

こうした高みを目指す心は、

根本的な土台となる、まるっとOKの

上の階層に位置するものです。



もし、土台がしっかりしていないと、

つまり人間OK、人間だしまるっとOKだよ、っていう

土台がないと、

この、もっと美しくなりたい、という高みを目指す心が、



全否定に

働くんですね。

自分はダメだから、

美しくなるんだ、とかとか。

そして、土台をさらに壊していくわけです。

自分を否定する方向に働く。


こうなってくると、高みを目指す心そのものが、

人生全体を崩していくことになってしまいます。




精神バランスとるのに必死になって、

それだけのために人生を費やしかねません。



この時に、持つべきものは、高みを目指す心ではなく、

まず、土台としての、人間OKみたいな


人類愛がまずは必要になります。


人間だし、まるっとOKなんだぜ、っていう。

この土台を認める作業は、甘やかしとかとは違うんですね。

むしろ、



この後に

健全な高みを目指す心を養うために

必要な認め作業になるんです。




この自分人間だしまるっとOKだぜっていうとき、



もう、開き直りが必要なんですよ。

開き直れないと、ここ、養えないんです。




格好つけてるうちは、ここの土台が築けない。

だから、ダメな自分とか

格好悪い自分とか、

まるっとさらけ出せるくらいなことが必要で、

それができるようになると、



その土台うえにいくらでも人生を築くことができます。


高みを目指してもいい。

美しさを追求してもいい。

成功してもいい。

また、そうならないでもいい。


自分で全てを

選択できるようになる。

これが真の自由ですよね。



SORAヒプノシスメソッドでも、

最終的に、ここまできます。

ここまでを養うメソッドになっています。

(と軽く宣伝)

そのためには、まずは全てをまるっとOK

ダメな自分もOK。だって人間だもの、が必要になるのね。



でもそこで終わらない。

人間の人生はそこで終わらんのです。

それがしたくて、人間に生まれたんでしょ?

したくないなら、動物に生まれてると思うよ。

あなたが目の前にしているスマホも、

パソコンも、

誰かの高みを目指す心があってこそ、

存在しているのだから。




  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。