本当の感情に気がつこうぜ!

おはようございます。

昨日は、

私の高校生の時に気がついた話・・・

「あら、現実って人によってまるで違うんだ」

という体験の話をしましたが、

今日は、

そんな風に現実が客観的な事実がないからこそ、

ヒプノセラピーというものが生き生きと効果を発揮する

というお話をしたいなと思います。


私たちが思っている現実は、

当たり前ですが、

自分の心持ち次第で、この瞬間から

100にも0にもなってしまうんですね。


いや、こういう話をすると、

いやいやいや、そんなこといっても、

どう頑張っても、戦争とか起きたら、

そこにいる人全員が嫌な体験をするだろう、と思いますよね。


でも、戦争一つとっても、

それが嫌な体験かどうかって、

本当は細かくみたら、色々千差万別なんだと思います。


そういう細かい個人の体験を全部、無視して、

「悲惨」という言葉で括ってることって多いんじゃないでしょうか。



バイオリニストの五島龍のお母さんの

節さんのおじいさんが、

戦争が起きた時に、

「戦争は本当に楽しかった」と言っていたという話を

本で読んだことがあります。

(*注意:戦争を肯定してるとかではありません。)


山に入って、食べ物がなくて木の皮を食べたりしたのが、

実に楽しかったと。

これを読んだ時、すごく衝撃的でした。


ええええええ、そんな人いるんだなぁ!!って。




こういうのって、

一般的にはよくわからないことですが、


すごく極端な話かもしれませんが、

でもでもでも、


現実ってこういうことだと思います。


その人にとって、本当にどう感じたかが、その現実の本当の姿であって、


「客観的にみて悲惨」とか、

そういうのって、意味あるんでしょうか。




何か一般的に

「こういう体験をしたら、

酷い体験、苦しい体験と感じないといけない」

という「洗脳」のようなものがこの世にはあって、


自分の魂から湧き出ている感情をスルーして、

何か悲しんだり、落ち込んだりしている気がしませんか?



ヒプノセラピーをしていて、そう感じるのは

こんなシーン。


「子供の時はそれを何とも思っていませんでしたが、

大人になってよく考えると、酷いことだったんだと知って、

そうして怒りが湧いてきました。悲しみが湧いてきました。」


というようなこと。


こうしたことはよくあります。


子供時は何とも思っていなかった。

つまりそれを体験した時は何とも思っていなかった。




それなのに、大人になってから、

「こういうことされたら、それはいじめだ」とか


「こういうことする親がいたら、それは毒親」というような


プロバガンダによって、


後から、後付けで、「酷いことされてた」と思うのは、

それは本当の現実体験なのでしょうか。。。


私はこれは後付けの歪みだと思っています。



ヒプノセラピーでは、こうした後付けの感情を、

元々の感情体験に戻してあげることができます。



後から酷いと思いこんでいた、その体験、

実はその当時は、楽しんでいた、とか、


そんなに嫌でもなく、

普通にしてたんだ、

なんてことがあります。



たった一つのことでも、そうした事がわかってくると、


自分の思い込みの罠に気がつくことができ、


ゲシュタルト崩壊していきますね。(笑)



こんなシーンもあります。


「子供頃に楽しかった思い出なんて、何一つ思い出せないけど・・・」

と思って、過去に戻ってみたら、

楽しかった体験があった!

自分が心から喜んでいる体験があった!


なんてこともあります。


これも、思春期や大人になってからの体験で、


子供の頃に楽しかったことなんか何もないと思いこんでいた。

みたいな感じですね。


私たちはどんな現実からも、実は楽しみを見つけることができるし、

でも楽しんではいけない、


というような思い込みや、

「楽しかった」と言ったら、

不謹慎と思われるんじゃないかというような一般常識から、

楽しかった記憶を抹消していることも多々あります。


もっと、本当の感情に気がつきましょう!






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