思考という言葉、マインドという言葉、感情という言葉、感動という言葉。

つまり子供の脳って、思考停止してるんですよ。

感情だけやたらに動いてて、思考が停止してる。

この思考の停止をやめさせるのが、紙と鉛筆で書き出すことです。

そして、書き出しただけで終わらない。必ず行動に移す。

そうすると、本当の思考になる。

本当のことは、やってみないとわからないんですよ。

書き出すだけで終わったら、それも思考停止なんですね。

で、多くの場合、感情が動いてることを思考が動いてると、勘違いしています。

感情がでてるときに湧く言葉、、

「わたしだって、○×△▲■▽××!○×△▲■▽××!」

「だって!○×△▲■▽××!○×△▲■▽××!」

「もうだめだー!○×△▲■▽××!○×△▲■▽××!」

「くそー!!○×△▲■▽××!○×△▲■○×△▲■▽××!▽××!」

これらは思考とはいいません。私の世界ではこれは思考ではない。

これはただの雄叫びです。

人間の言葉ではないんです。

言葉の定義って人それぞれなので、

私の定義が正しいわけではない。

ただ、私の世界では、これは思考ではなくて感情です。

感情であって、言葉でもなく、雄叫びです。

どんなに論理的に言い訳を語ってても、雄叫びなんですね。

よく、マインドに支配される、みたいな言葉がありますが、

私はあれは、「雄叫びに支配」と変換して読みます。

マインドを黙らせるっていう手法がありますが、

あれも「雄叫びを黙らせる」です。爆

あれを「思考」と訳すと、私の中ではエラーを起こします。

私の中で思考とは、真理へ導く、尊いものだからです。

「思考」という言葉は、私の中ではそう定義されていますので、

思考をだまらせたら、絶対に真実にはたどり着かないです。

ですから、マインド黙らせる、マインドに支配されない、という

言葉がでてくると、「雄叫びを黙らせる。」「雄叫びに支配されない」と訳すと、

自分の中ですっきりします。

こうした言葉の定義の違いはそこここにあります。

その人がどういう定義で使うかは自由なんです!

自分が、どういう定義でつかってるかを知ることが大切!!!めっちゃ大切!!

感情を大事に!っていうとき、

わたしは、その言葉を「感動を大切に」って訳します。

感情は雄叫びですから、人間的なものから外れてるんです。私の定義では。

何が好きか、自分の感情を大切にしましょう、っていうとき、

えっと、自分の雄叫び的な好き嫌いに支配されて、楽しいですか?

感情には、けもののような嫉妬心とか、復讐心とかだってありますよね。

それに支配されたらどうなるでしょう。支配されてはいけないんですね。

私はこの感情を大切に、って言葉は、「感動を大切に」だと思っています。

感情ではなく、感動です。

感動こそが、すべてのスイッチ。やる気のスイッチです。

好き!っていう感覚は「感動」なんですよ。「感情」ではない。

これ、私だけの言葉の定義ですよ!そこよろしくね!。

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