高みの見物はしない主義

私には変な信念があって、

人間が体験できる、一通りのことを

体験してないと、その相談には乗れない気がしています。


就職して働くとか、

結婚して子供を産み育てるとか、

嫁姑を体験してみるとか、

親の介護を体験してみるとか、

海外に住んでみるとか。。。

とりあえず、一通りのことしてみてからでないと、

その分野に関して、

人の相談とかは受けられないなっていう感覚があります。


結婚してなければクライエントさんの結婚生活について、

カウンセリングとかお受けできないし、


子育てしなければ、

クライエントさんの子育てについて語れなくないですか?



私は不倫したことが全くないので、

経験がないので、

そのことについては、絶対に語らないです。

語れないんですね。

いっぱい不倫してたら不倫カウンセラーになれたなー。笑



人生って、何が起こるかわからなくて、

良いとか悪いとかじゃないじゃないですか。


「ニートが増えて困っている」みたいな社会現象があった時もあるけれども、

今は自粛とかいって「おうちにいよう」とかいって、

国民全員ニートであるように、それが美徳とされてるじゃないですか。


不倫とかも同じと思うんですよ。

世界が変わって、価値観が変わったら、

それが良いとか悪いとかで語れなくなる。



そして、それを体験したことない私は、

絶対に語らないって決めています。笑

語らないっていうか、語れない。

語ることがない。

私、正直だからさ。笑 


子供を育てたことがないカウンセラーに、

子育て相談とか、ナンセンスだに?

結婚したことない人に、

結婚相談もナンセンスだりょ?


だけど、なんか、

世のメンターみてると、

経験もしたことないことを、

悠々と語る人って結構、多いんだなって思います。

これには驚きだぜ!


「このメンター、結婚もしてなくて、子供も産んでないのに、

めっちゃ子育てとか、結婚とか語っちゃってる」

みたいなのみると、ちょっと驚くんだよね。

でも、それも一つの才能なのかもしれない。



しかもそういう人って、男性だったりして、

男性だから、

産後のホルモンバランスぐちゃぐちゃで行う子育ての壮絶さとか、

これからも体験もしないだろう。

そして、

それは体験してないから、

言えることだよねって思う部分がいっぱいあったりするんだよね。


人って窮地に追いやられて、初めて出てくる人格ってあるじゃないですか。

結婚して初めて出てくる人格とか、

子育てして初めて出てくる人格とか、

嫁姑を体験して初めて出てくる人格とか。

これらって、本当に逃げ場が無くなったからこそ、

でてくる人格がある。




逃げ場がなくなってからこそが、本当の勝負じゃない?

って私は思うのね。

逃げ場がなくなったとき、


やっと、自分の核が現れる。

知らなかった人格が現れる。

この自分の核が現れる体験をしたことない時って、

その分野について、何も語れんと思うんですよ。



その窮地に追いやれれたとき、

どう生きられるかが、

本気の勝負の時なんだよ。


本気の勝負してないのに、なんか語れるん?

逃げ場がなくなって、

その、自分さえ知らなかった人格を体験してこそ、

人生理解ってできるようになるし、

人間理解もできるようになるんだと思うんですよ。


それがない間は、

高みの見物的な意見でしかないだろ。








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