最近、本当に時間のたつのが早い。そう感じるのは年のせいなのか。それとも地球の自転が早くなっているせいではないのか。
子供の頃、自分で一分をカウントしようと思うと、自分のカウントのほうが実際の秒数より早くなってしまって、一秒とは自分が思っているより長いのだ、と思う事が多々あったが、最近は自分でカウントするほうが実際の一秒よりも長いことのが多い。
それを体感するたびに、一秒は昔の一秒よりも短くなっているのではないか? みんな世界中の人がそれに気がついてないだけなのではないか?という巨大な妄想に取りつかれるのである。
おかしくないか?みんな気がついているんだろうか。 一秒は短くなっているという事実に!
そういう思想はまるで陰謀論にハマる人みたいだけれども、決して一秒が短くなったところで、何がどうということはない。あんまり早くなりすぎてもらっても困るが、今の所、常識以上に早くはなっていない。
というと、絶対早くなっているんだ、という確信めいたものがあるのか、という話になるが、そんなことはない。
そんな気がするよ、というだけの事だ。
つべこべ言っているが、別にどうでもいいことである。爆
自分が原因なのか、それとも他人や環境が原因なのか。他人を自分と思えばすべてが自分のせいともなるし、いやいや、他人はやっぱり他人なのだよ、と思えばすべてが他人のせいかもしれない。
全ての宗教は究極的には、あなたは私であり、私はあなたである、という境地に達せよと言うが、
達しても達さなくてもそれは事実じゃないか、とか思う私は変人だろうか。
どうがんばっても、どんなに切り離されたくとも、あなたは私だし、私はあなただ。
嫌でも憎くとも、それは一生変わらない。
それを誰か個人に焦点を当てるものだから、分離を体験するのだろう。
そんなもの、捨ててしまえ、と思う私である。
よりよく生きるとはどういうことか。
人生には限りがある。
魂に限りがなくとも、
この人生には限りがある。
たぶん、この今の私、谷原由美という精神や人格を保つ時間は
そんなに長いわけではない。
人とは何か。生きるとは何か。
私のなかの心の疼きが、
「人間は真理全貌に迫る資格があるのだ」と
そう私に告げる。
もう9月。
蝉が夏の終わりを告げる。
ぼやぼやしていると、一生もこのようにすぐ終わってしまう。
谷原由美として、この世に奉仕できることだけは、確実にして終わりたいものだ。