よく、この世に生まれてきたのは、学ぶためだ、
なんて話を聞く。
もし学ぶために生まれたのであれば、
我々は訓練しないとならない。
人は努力と練習で進化するという記事より
http://www.huffingtonpost.jp/2014/07/17/these-amazing-before-and-after-drawings_n_5593928.html
↑は画家の作品を並べて、人が努力と練習によっていかに進化するかが
一目瞭然にわかるように書かれている。
記事より抜粋
「作品を作り始めた最初の数年間は、それほど良いものはできません。
努力しても、うまくいかないのです」
だが、ひるまずに練習と努力を続ける人は、次第にスキルを向上させていく。
「このギャップを埋めるには、たくさんの仕事をこなすしかない」
「時間と練習がすべてです」
「練習は、苦しい作業であるべきではないと私は思います」
自身が成功した理由の「大部分」は、「絶え間ない練習」にあると述べた。
「最初のころは、自分よりはるかに先を行く他のアーティストと自分を比べて
挫折感を味わい、彼らにはかなわないと落ち込んだものでした」
「根気よく取り組み続け、自分のしていることを楽しんでいる限り、
自分が目指す地点に到達するはずです」
サンフランシスコにある美術大学アカデミー・オブ・アートで学んだ経験は
実にすばらしいものだったが、授業に参加するだけではそれほど先に進むことはできないだろう。
「そうなりたい、と心から思う必要がある。
そして、成功を目指して自分を厳しく追い込むのです」と同氏は述べている。
プロは言っている。
絶え間ない練習。ひるまず練習を重ねる。
根気よく練習をかさね、それを楽しむ。
成功を目指して自分を厳しく追い込む。 などなど。
音楽家や画家は、能力がそのまま作品になってしまうので、
誰の目にも、その実力が一目瞭然である。
ピアニストなんか、本当に練習量とかがそのまま如実である。
そして練習量の足りない人はプロにはなれないし、
お金など、けっしてもらえない。もらってはいけないのだ。
しかし、私が今、身をおいているセラピストとかカウンセラーとか
スピリチュアルとか占いとか
そういう世界は、その人の実力や能力が、わかりにくい。
そして、こうした世界では、毎日技を磨くという訓練を重ねている人も少ない気がする。
それは、音とか絵とかでフィードバックできる世界ではないので、
わかりにくい部分もあるのだろう。
練習のしかたさえわかってない人が沢山いる気がする。
しかし、それではプロとはいえないし、
音楽家の世界では絶対にお金がもらえるレベルではない。
セラピストとか○○カウンセラーとか占い師とか
そうした世界で仕事になるかならないかは、
プロと呼べるレベルにいるかいないか、という事だと思う。
そうした自己チェックは必ずするべきだし、
研鑽を積むにはどうしたらいいかということを常に考えなければならない。
私は思う。とにかく練習しないのであれば、それはプロではないのだ。
占い師ならば、毎日ホロスコープを読むべきだし、
それをレポートするくらいの気概が欲しい。
それができて初めてプロと呼べるのではないかと私は思っている。
個人的にはそれができるくらいの人にしか占ってもらいたくない気分だ。
同じように、自分はヒプノセラピストであるので、
毎日、自分が変性意識に入ることを試みている。
毎日瞑想する。
これができないならヒプノセラピストになる資格などないのだ。
と、自分に言い聞かせている。
自分が変性意識に入れるからこそ、他人をその状態に導けるのであって、
それができないならば、他人を導くことは不可能だと私は思っているからだ。
脳波の同調というものがあるから他人を導けるのである。
ヒプノセラピストが雑念がいっぱいだったらどうだろう。
自己の問題でいっぱいな人が他人を変性意識に導けるわけがない。
欠落感や欠乏感でいっぱいな人はそういう誘導しかできない。
訓練は自分をよりよく生きる道につれていく。
こうした訓練は他人に言われてするのではなくて、
自分で自分に課さねばならない。
楽しく、面白くだ!
そうして初めてプロとなることができる。
初めてお金をもらう事ができる。
お金はそうした訓練の等価なのである。
前世で訓練してました、とか・・
そういうのは、どうかと思う。爆
是非、今生で今世で
限りない訓練をしていただきたいし、
そうでなければ、生きている意味さえ感じられないではないか。
生きる意味が欲しいならば、
まず、訓練をするべきだ。
いろんな訓練をするべきではないかと思う。
そうすると、訓練というものから沢山の事を学ぶ。
自分のこと。
他人のこと。
世界のこと。
そうしたことが
もっとよくわかるようになってくる。
訓練のたまものとして、
世の中の事がもっとわかるようになるのだ。