よく、お金をもらうことはセラピストが商売として儲けてて、
だから、できるだけ安くセッションをすることこそが良いことだと思ってる人がいます。
それは実はセラピストにとっては良いことなのですが、
クライエントにとってはとても悪いことです。
高いセッションがクライエントのためにならないと思ってる人が多いですが、それは実は逆なんです。
安くてリーズナブルで良いセッションをすればするほど、
セラピストは徳を積んでいきます。
その徳はクライエントから奪った徳なんです!!
クライエントは安くてリーズナブルなセッションを受ければ受けるほど、
カルマをしょい込んでいきます。してもらったことに対して、少ない金額しかはらってないということは、
それはカルマを作ったということです。
ですから、何かでそのカルマを返さないとならないです。
つまり安いセッションを受けるということは、負債をどんどんつくっていってるのです。
お金はとても便利ですね。その負債をお金で返せるのですから。お金は本当に便利なものです。
よく、厄年の時に、お金を何かに寄付するとかすると、
その危機が軽くなるという話を聞いたことがありませんか?
たぶん、そういう話はネット検索するとでてきます。
これは、実体験として、本当です。
中年の危機がありますね?その時、物凄く苦しむ人がいると思います。
死ぬかという体験をする人もいると思います。
この中年の危機は苦しければ苦しいほど、乗り越えれば、飛躍します。
これも、間違いないです。
苦しくなかった・・という人は、「ああ、ちょっと残念でしたね。。」という感じです。
飛躍のチャンスを逃しちゃったかもよ・・とか脅しておきます。
これは呪いかもしれません。笑 (冗談です)
でも、中年の危機は、苦しんで損はありません。
その超苦しい時に、私はお金を意識的に寄付しました。
ええと、値段を言うと、ほぼ、全員ビックリするくらいの大金です。
え・・という値段のお金を、意図的に寄付しました。
普通の人の月収より高い値段です。
貯金通帳が0になるくらいのお金です。
この効果は絶大にあったと私は思っています。
あの危機をウルトラ・スペシャル・ミラクルで私は乗り切ったのです。
お金を払うというのは、つまり過去の労働で得たチケットみたいなものを、
今起きている出来事にたいして、払うということです。
エネルギーにたいして、調整を計るといっても良いです。
今起きていることに、対価を払え!とトラブルや危機は言っています。
通常より安いセッションを受けたら、受けた人は、
その恩恵を世界に行動で返さないとなりません。
カルマですから。何かでお返ししないとならないです。
行為や行動で返すつもりがあるならば、それでいいと思います。
しかし、そんな余裕はないよ、というのであれば、
過去の労働で返す。
普段、自分が労働して得たお金を払うのが、楽にその負債を返すことになります。
お金持ちの人が、寄付や慈善事業やボランティアをするのは、そういう意味があります。
この人たちは、普段もらいすぎている。
もらいすぎたならば、それは、カルマをしょい込んでるも同義語です。
ですから、彼らは、お金を吐き出すか、ボランティアなどで、行為として世に貢献するかしないとならないです。
じゃないと、エネルギーの循環として悪くなる。
悪いエネルギー循環は病気の元です。
だから、彼らはボランティアするわけです。
または50万円するフカヒレラーメンなどを食べて、
中華料理屋に貢献してかねばなりません。
でも、普通に労働している一般市民がボランティアするのは、
徳を積むには良いですが、
相手に対して負荷を負わせているだけのことが多々あります。
それは相手にカルマという負荷を与えてるだけにすぎません。
自分がその分のお金を貰わないのであれば、その労働に対してのエネルギーを、
徳分として、相手から奪うしかないのです。
ですから、お金を稼げてない人がボランティアするのは、
エネルギーの循環として私は悪いことだと思います。
この考え方は偏狭で、偏屈かもしれませんが、
私は、この考えを、はっきりと自信をもって言いたいところです。