よく、ヒプノをしていると、
ビジョンの見えかたはこんなのでいいのかしら・・と疑問を持つ方がいる。
ブルース・モーエンは白黒であまりはっきりとは自分は見えないんだ、
と言っているし、アクアビジョンの坂本さんなんかは、
ビジョンは見えずにすべてが音や言葉だという。
それもすごいと思う。どんな世界なんだろう。
ビジョンの見え方は千差万別でこれが正しいというのものはないし、
とにかくなんでもいいから、感じられればOKなのだ。
私自身は、フルカラーの360度ハイビジョンの中でビジョンを見る。
でも、これは一足飛びにこうなったわけではない。
私は4歳の頃からビジョンを見る訓練をしていた。
私は4歳の頃から、毎日寝るときに、
目を閉じて頭の中でありありと想像することを訓練していた。
例えば自分が刺繍の入ったヨーロッパの貴族が着るようなドレスを着ているとして、
その袖の刺繍、服の形、色、それが見事に頭の中で描き切れるまで、
まるで目で見ているかのようにありありと思い浮かべられるまで、
何度も何度も繰り返した。
できないと、ぷるぷるして、イライラして、「もう一回!!!!」なんて自分を叱咤し、
再びその服をありありと思い浮かべることを繰り返した。
服が描き切れたら、今度は家具。
家具の形、微妙なカーブ。施された彫刻。色。
その細部がありありと描けて、そして全体が見渡せたら家具は合格。
それができたら、窓。
窓にかかってるカーテン、カーテンの色、カーテンの刺繍。。
それができたら、椅子・・・・
それができたら・・
と繰り返し、最後に部屋全体を、一気に見渡す。
その時に、どこの部分もぼやけてはいけないし、描き切れていないものがあってはいけない。
どこができてない部分があれば、不合格で、もう一度やり直した。
それを毎日、365日繰り返していた。
そのうち、ぱっと部屋全体、自分の服、
などのビジョンが描けるようになり、
私はその映像を使って物語を作り始めた。
4歳の時に「えみちゃん」というお話を作っていたのを覚えている。
そのうちに、自分の家の前に、
リアルにえみちゃんという人が引っ越してきて、
私は、とても幻滅した。そしてその「えみちゃん」というお話を作るのをやめて、
ほかのお話しに変えた。爆。。
私の「えみちゃん」は聖域であって、リアルえみちゃんがいてはいけなかった。
そうして、私は自分の頭の中で何百、何千とストーリーを作っていた。
ストーリーを作ってはそのお話しの展開においおいと泣いたり、
喜んだり、悩んだりしていた。それを、何百、何千。。
中学生になったとき、私は毎日がとても暇で、
夜寝るときに作る、お話しの時間だけが楽しい時間だった。
しかし本当に暇でしょうがない毎日で、
その夜のお話しの時間がくるのを待てなくなってきた。
いちいち寝ないとビジョンが見れないのが面倒くさいので、
わたしは中学生の頃から、今度は目を開けたまま、ビジョンを見るという訓練を始めた。
始めは上手くいかなかった。
ビジョンを見るにはどうしても目を閉じないとだめかな、と思った。
しかし、私はあきらめなかった。
目を開けたまま、目の前の物が目に映っているのを無視して、
頭の中で360度のフルカラーハイビジョンの映像を作り上げる。
私は毎日毎日繰り返し、とうとうできるようになった。
これができるようになったので、
私は目を開けた状態で、昼間から自分の作ったストーリーの中に埋没する術を得た。
これは画期的だった。
いわゆる白昼夢というやつだと思う。
私はとにかく暇だったので、その中で生きた。
私はこれらのすべてが妄想だと思っていたのだが、
人は自分で何かを作り出しビジョンとしてみることはできないらしい。
今考えれば、子供の頃、フルビジョンでみていた、貴族のドレスは、
本当に手に取れそうなほど、ありありと、
その刺繍、生地の感じ、形、ちょっと見えてるレースなどなど・・を私は見ていたけれども、
よく考えれば、4歳の子供が自分で作り出して見れるわけがない。
それは、前世でみたビジョンか、バイロケーション、リモートビューイングなのだ。
えみちゃんという人が実際に目の前に引っ越してきたのも、
ある種の時間を超えたリモートビューイングだったと思うのだ。
私は、この目を開けたままビジョンを見るという方法に明け暮れて、
ある夏休み30日間、ビジョンを見続けて過ごしてしまった時があった。
明日から学校が始まるというその日に、はっ・・と気が付いて、
30日間なにもせずに部屋にこもりっぱなしで
ビジョンを見続けていた現実に驚きを隠せなかった。
愕然とした。自分は人間として駄目かもしれない・・とさえ思った。
私の海王星は12ハウスにあり、12ハウスがとても強い。
ビジョンを見るにはこの12ハウス海王星は王様だと思う。
私がヒプノを受けると、
私が頭を動かして360度見渡すしぐさにセラピストさんが驚くようだ。
そしていきなり感情ごと、取りつかれたかのようにビジョンを見る。
それは4歳のころから繰り返してきた、訓練のたまものだ。
私が突然、笑ったり、泣いたりするのを、
ヒプノセラピストさんが驚く意味が最近になってわかった。
自分自身がヒプノセラピストになった今、
そういうクライアントさんはあまりいない事を知ったのである。
泣いて、笑って、怒って、怒鳴って・・というクライアントさんは、あまり見ない。
でも全くいないわけではない。でもごく少数である。
泣いて、笑って、怒って、、という具合に激しくビジョンを見る人は、
あんまりいなかったのか、、と私は自分がセラピストになって初めて理解したのである。