ここは頑張りどころか、もしくは力の抜きどころか。

よく、心屋さんが、「頑張らなくていい」という話しをする。

これ、すごく、いつも微妙な表現だなって思う。笑

人生には絶対に「ここは頑張りどころ」っていうポイントがある。

でも多くの人は、

「ここは頑張りどころ」っていうポイント以外の所で頑張ってる。爆

だから、トンチンカンな頑張りをしていて、

そうして、人生が狂う。

身体壊したりとか、精神病んだりとか。。。

心屋さんはそういうのを、たしなめてるいるのだと思う。

そういう時に「頑張るな」って言うのは正しいサジェスチョンだと思う。

力抜いてみたら、周りが良く見えて、

自分のこともよく見えて、

自分が空回りしてただけだってこともよくわかって、

そうすると、どこで頑張るべきで、どこで力抜くべきかってわかってくる。

それがわかるまで、力を抜く事を考えないといけない。

こんな時は休みは非常に大切だ。

何もかも忘れて休む。

どうせ、頑張っても何もできないから、安心しろ、と思う。

何かできるかもしれないと思うから、焦ったり、何かしようと空回りする。

そんな時は、何をしてもどうせ何もできない。

安心しよう。

しかし、もし、あなたが正しいポイントで頑張ってる時は、

身体やんだり、精神病んだりしないんだ。

いや、それでも、本気で頑張れば、

多少は身体も病むし、精神病むかもしれない。

でも、ここぞという時は、それらを省みていては、いけない。

たとえば、イチロー選手が

「毎年、200安打が近づくたびに、脈が速くなって、吐き気をもよおした」っていう。

本気で何かを達成したことがない人は、このイチローの身体の変化について、

「もっとリラックスしてやれよ! 力抜いていけよ」とか言うだろう。

「身体の声を聞け」とか言うかもしれない。

しかし、それは間違ったサジェスチョンだ。

なぜなら、

この緊張感があるからこそ、イチローは偉業を達成しているからだ。

私がピアノのテストで、すごく失敗したときがあった。

あんなに練習したのに、こんなところで失敗するとは!と悔しい思いだったが、

その時、私の師匠は私の演奏を聞いていて、

私の態度についてこういった。

「あなた、今回の演奏は、教室に入ってきた時から、緊張感が足りなかったわ。

演奏は適宜に緊張しなければ、実力は発揮できないのよ。」

そう。私はこの時、異様にリラックスしていた。爆

できるだろう、と思っていた。

しかし、そうではなかったのだ。

人は緊張してこそ、積み上げてきたものが発揮できる。

その緊張感は、努力と祈りで出来ている。

努力と祈りが足りない時、人は異様にリラックスし、

まぁ、そこそこの演奏しかできないのだ。

本気で達成したいならば、

身体に異変がくるくらいの緊張感が必要なのだ。

もちろん、良い演奏をしたいと思わないならば、

それは不必要な緊張だし、いらない努力だ。

200安打を達成したいと思わない人にとっては、

その吐き気もいらない吐き気だし、

いらない努力だ。

でも、もし、あなたが、ここはどうしても、頑張りたい、

このポイントは外したくないと願うものがあるならば、

努力と祈りをささげて、全力で頑張るポイントがそこにあるのである。

リラックスが要求される人は、

頑張り方が間違っている時。

自分が本当にしたい事ではないことで頑張っている時。

それと、

もうすでに、何かを達成して、

後はその余力で生きて行こうとか、このままその頂点を維持しようとしている人も、

限りなくリラックスする事が必要だ。

でなければ、その山の頂点は維持できない。

心屋さんなどは、まさにこの位置にいる。

適宜に体系化して、システムができた今、

後はできる限りリラックスしないと、

発展していかない。

リラックスすることが発展へと繋がる。

これを知らないで、心屋さんのようにスーパーリラックスしても、

どうかなと思うのだが、

手放すこと、リラックスすることに生き甲斐を感じる人と、

達成すること、緊張することにドラマを感じる人と、

もともとの好みもあるだろう。

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