昨日もクライエントさんとお話ししていて、
もう、今はA+B=AB ではだめで、
A+B=C にも D にも Eにもならないと、
一緒にできないっていう話し。
このA+B=C とかってのは、
雨森亜子さんの 蠍座木星の読みの記事に出ています。
さそり座って私も、結構天体あるんですが、
さそり座の友人を何人かみていると、
さそり座の人って、
なんか、何考えてるかわからない感じしますよね。
そして、私が知らないだけかもしれないけれども、
あまり親友がいなさそうだったりします。爆
(いや、水瓶からみると、
それは親友とは言わないのでは?とか思ってるだけだと思います。)
(たぶん、蠍的には充分に親友がいると思われます。)
博愛水瓶とかだと、友情こそががこの世で一番大切なもの、、というくらい、
人と深く付き合いますが、
さそり座の人で、そういう友人を持ってるという話しを聞いたことがないのでございます。
(ここは、さそりの人に検証したいところ。。)
さそりの人は、家族とは縁が深そうだったりしますが、
さそりの人に親友というのは存在するのでしょうか。。。
(いや、水瓶の戯言なので聞き流してください)
(たぶん、蠍的には充分に親友がいると思われます。)
で、自分自身で考えると、
蠍に火星とかあるのですが、
たしかに、男の人とは、できるだけ付き合いたくないとか思いがちです。
おじさんとかならばいいのですが、
若い男性とかは距離置きたいです。
この感じは蠍に火星があるせいなんじゃないか?とか思ったりします。
水瓶の人間は、腹を割って話すというのは、デフォルトなので、
良いとか悪いとかの判断抜きに、
「何でも語ろうぜ」と語りあい、
A+B= CにもDにもEにもしてく、
語り合って 影響されあって、変容する。
それがデフォだったりします。
(水瓶の人ってそうだよね?)
でもさそりの人は、基本的に話し合うというのが嫌いみたいな感じがしますし、
話し合ったところで、
相手の話しをミックスしてCとかDとかにする感じはまるでなく、
「あくまで私はAですから!」という主張しかしない。
こうした感じが、今まで過去、何人かのさそり座の人とのやりとりでは
あった気がします。
これって、私だけが感じているもの?と思ったのですが、
私の親友の、さそり座の人との最近の出来事を聞いていても、
同じ現象が起きていた気がします。
「私はAですから」と主張したまま、
こちらの話をきいてくれないということでした。
さそりって、相手と溶け合って変容、って教科書に書いてあるけど、
実際には私はそういう蠍座の人を知らないのですよ。
自分のスタンスやスタイルを絶対に変えないという蠍の人しか知らないし、
変えないために、できるだけ防御する蠍の人しか知らない気がします。
なので、そうしたさそり座に木星がくるって、
どういう感じなのかな、とか思ったりします。
さそり座の強烈な接着座を剥がせるのは水瓶だけという話しを、
松村先生がしていました。
さそりの天敵は水瓶と。笑
さそりの接着剤ってつまり「私はAですから」という主張、それこそが、
さそりの接着剤なのだと思います。
水瓶はそこにふっと入り込んで、
いや、CにもDにもEにもなるだろ?って始まる。
きっとそれが嫌で、
さそりの人は水瓶が嫌なのかもしれません。
水瓶は蠍の人の「私はAですから」ってのが、
異様に感じてしまうんですよね。
なんで、そこに執着するの?とか思ってしまう。
そして、それでは CとかDとかEとかにならないから、
それって友情って言わないんだよ、とか思ってしまう。
一緒にいる意味がないじゃないか、と思いがち。
変容し合う相手こそが友情と思う水瓶からすると、
サソリの人は友人がいないのではないかと思ってしまうんだろうな。
でもきっと、蠍の人にとっては、
そうした水瓶の変容せよ!という感覚は、
暴力的に感じるんじゃないかと思いました。
水瓶人間からすれば、なぜそこに執着するのだ?
と執着するほうが暴力的に感じます。
自分の中に蠍に天体もあるので、
なんか、すごーくよくわかるなー。
俺、この蠍の火星に関しては、
より自由にリベラルに変容しようぜ!とか言われたら、
暴力だと感じるものなー。爆爆ww
でも、水瓶からすると、
蠍の「私はAです」という主張こそ、暴力的なんですよね。
蠍が、「ここまでが自分」のその自分の範囲を広げたら、
すごいっすよね。
それこそ集団をまとめる力になるんだろうな。
でも多くの場合は家族とか、ごく身近な人に限られるので、
それ以外の人への排他的な気質のほうが目立ってしまう。
水瓶は世界人類みな友達とかって、
自分の範囲はすぐに広くなってしまうから、
(魚座ほどではないですが)
そこが蠍と水瓶の大きな勘違いの生まれる原因かもしれませんね。
で、水瓶は、こうしたことを考えて、
より視点をあげていこうと思いがちです。笑
視点の高さこそ命みたいな。
視点をあげることというのは、
全てを「よし」とすることですから。