おっはようごっざいまーす。
昨日の続きなんですけど、
じゃあ、自分が悪いんだね。。
といって罪悪感を感じてしまう人もいるかもしれませんが、、、
いやいやいやいやいや、
そんな必要ないですよ!!
人から暴力引き出す種は、たしかに自分の中にあった。
だけども、それがあったことに、罪悪感とか必要ないです。
その罪悪感ってその暴力の矛先を自分に向けてるにすぎないんですよ。
ぜんぜん種の解消になってないし、
矛先変えてるだけ。
つまり、その種を手放したくないってことなんです。
まだまだ握ってたいよーってこと。
そして、またいざとなったら、他人に向けようって準備してるんですよ。
種を握ってれば、いつでも方向は変えられるのです。
罪悪感は、自分が悪いんだーって思うことで、
種を握り続けるためのカモフラージュなんです。爆爆
「こ、これを、て、てばなしたら、
おれ、おれじゃなくなっちゃうじゃん、、、」
みたいな感じで、その種を握ってたいの。笑
つまり手放すってどうしたらいいの?って、
真意を知ることが必要なんです。
相手の真意と、自分の真意です。
絶対にその奥に、本当の真意があるからね。
その真意には間違いなく愛があります。
親があなたの成長過程にどれだけの労働をしたか、ご存知ですか?
あなたが一歳になるまで、親は2000回以上の授乳。
そして高校卒業するまで、
親はあなたに16000回の食事の支度をしています。
一万六千回の食事の支度です。
これ以外に、お金を稼ぐ労働もあったし、
掃除や洗濯もありました。
その労働、他の誰かがあなたにしてくれたことありますか?
(結婚して奥さんいる旦那さんならあるかな?でもまだ数年分ですよね。)
この労働に対して「そんなのあたりまえ」ってケチをつけてるならば、
あなたが今している労働すべてにも、
誰かにケチつけられるでしょう。
「あなた働いてないね」とか言われたり、爆
「あなたの仕事ぶりって、無駄が多いね」とか言われたり、爆
「ろくに働けないね」って言われたり。爆
自分は一生懸命やってるつもりでも、
他人から評価されません。
なぜ?
あなたが親の労働に価値を見出していないからです。
脳内でケチ付けてるからね。
自分の労働に価値を感じてほしいならば、
まず、自分を支えてきた人の労働の価値を感じ入ることが必要です。
自分がこれだけの労働の上に存在しているんだということを、
しみじみ感じ入る必要があります。
この時、本当に、自己価値が上がるんですね。
コメント
うおぉぉぉぉ~!いい記事!