全托と本当の祈り

日本には宗教がない。
でも、それは日本に限ったことではなく、
外国にいっても、一応宗教はあるけれども、
本当の信仰はない。
なぜなら、
祈りとか信仰とか、
それは簡単なことではないからだ。
どれだけの人が祈りと信仰に一生を捧げ、
命を捧げてきたか、考えてほしい。
そして、本当の祈りや本当の信仰というものが、
どういうものか、
それは、一度でも、
自分の全てをそこに投げ打った者にしかわからないと
私は思っている。
でも、私の活動の全ては、その体験が基礎になっている。
本当の祈りと、本当の信仰。
この体験があるから、私は非物質界を探索でき、
意識の世界へと人々を導く事ができるのではないかと思っている。
私は、20代の頃に、
あまりに強烈に祈りと信仰の生活に身を投じ過ぎたがゆえに、
30代になってから、
自己を取り戻すのに非常な苦労をした。
信念体系クラッシュを起こしたのだ。
それは寄せては返し寄せては返す波のようで、
もう大丈夫と思っても、また元に引き戻り、
その信念体系クラッシュから抜け出るのに、10年かかった。
今は、ただひたすらに神と一体となった生活から、
自己をやっと取戻し、普通の人間として生活できるようになった。(爆)
でもその体験があるがゆえに、
生きたまま、あちらの世界と通じることができるようになったように思う。
祈りも信仰も簡単ではないし、
それは自分の全てを投げ打って獲得するものだ。
そこに、あらゆる自己は勘定にはいらない。
人生の全てのハンドルを投げ打って、獲得するものだ。
全托。
全托ができて、はじめて神と通じることができる。
全托とは完全なる依存だ。
一切の自己を捨て去ることだ。
それができて、はじめて切符をもらうのである。
それができて、はじめて本当の祈りを知る。
それができて、はじめて本当の神へのルートをもらうのである。
私は案内人だから、それが必要だったのだ。
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今、こうしてシャバに戻ってきて(爆) こうして案内人をするのは、結構面白いよ。

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