光源

私は、キリスト教が好きではないけれど、
聖書とキリストが好きだ。
キリストは反逆児だった。
既存の宗教の偽善と欺瞞が許せなかった。
貧しき人々を搾取する司祭や役人が許せなかった。
キリストは自由を求めて戦った人だった。
キリストは言った。
「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、
濁っていれば、全身が暗い。
だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。」
マタイによる福音書 / 6章 22節
目は対象物を見る。
しかし、注目したものしか見えない。
注目とは、つまり、注ぐ目。
目がともし火であるならば、目は光だ。
目が発した光によって、
対象物が見えるということだ。
光源は太陽ではなくて、
光源は電気ではなくて、
実は、光源は目からでている光だ。
目がまんまんに光っていればあらゆるものを見るだろう。

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