救済者になりたいですか? 我が道を生きる

おはようございます。
千葉に帰ってきた谷原です。
京都でお会いできました、皆々様、
本当にありがとうございました。
貴重で大切な時間でした。
EFTの技術はこういう意識の旅系の仕事をする私にとっては、
最高のツールです。
京都のインナーチャイルド編でもEFTは
すごく使わせていただきました。
いろんな依存症、恐怖症やトラウマや、感情のもつれ等、
もう手放したいのに手放せないような感覚には
EFTはすごく役立つツールです。
EFTのセッション日というのを、これから作ろうと思っています。
予定を今週中には出しますね。
ああああ、それと、
インナーチャイルド編で話題になった、野口晴哉さんの本ですが、
本のタイトルを忘れてしまっていましたが、それは
病人と看病人という本です。

この本はまさに、インチャで説明した、三角形のドラマの話でして、
病人を病人たらしめているのは看病人である、という話です。
病人であることのメリットを感じてしまった犠牲者(被害者)は、
そのメリットから抜け出せなくなっているという話。
抜け出させなくしているのは看病人であるという話です。
人間関係の渦から抜け出れない人は、迫害者にならねばなりません。
迫害者はいつでも非難されます。
ですから、罪悪感でいっぱいになる事もあるでしょう。
その罪悪感は、迫害者の立場になった人しか、感じることはないです。
被害者役の人も、救済者役の人も、
実は自分が大切で、保身に走っているだけなのです。
三角形のドラマから抜け出したかったら、迫害者にならねばなりません。
迫害者こそが、真の救世主なのですよ。
という話でした。
セラピストとかになりたがる人とかも、
是非、自分に、一度は、
「自分はこの三角形のドラマの救済者をやりたがっているだけではないか?」
という問いを発してほしいと思います。
救済者をやりたがるというのは、
たんに自己無価値感から抜け出たいがゆえに、
人を助けることによって、
自己価値があるような錯覚をしたいだけだったりするのです。
うわぁ、、、痛い話し。。。と思う人もいるかもですが、
もし、そうだとしたら、
その自己無価値感をしっかり見つめて、
その部分と対峙して欲しいです。
そうして、真の部分では何がしたいのか?を見つめてほしいです。
言い訳みたく聞こえるかもですが、
言い訳とは自分では思ってないですが(爆)
私はセラピーとか実は全然興味ないんですね。(爆)
人を助けたいとか、全然思ってないんです。
(えええええーーー)
私は、意識の旅がしたいのです。
もともと、瞑想と哲学が大好きな人間で、
人助けとかセラピーとかは興味ないのです。
でも、瞑想するにも、哲学するにも、意識の旅をするにも、
セラピーのスキルがないと、意識の旅ができないじゃん!!!という現実にぶち当たって、
それならばやるしかない!ということで始まっています。
そして、意識の旅をするには、EFTやセラピーツールが
旅を助けてくれることを実感しています。
癒して終わりではなくて、
悟って終わりではなくて、
悟った後の生き方が大事だと思うって、
河童先生が先日のブログに書いてましたが、
ほんとそう。
癒し、悟り。 それは序奏でしかありません。
その後の生き方が大切ですね。

その時には、さらりと迫害者になり(爆爆)、
さらりと、エネルギーの渦から抜け出し、
我が道を生きられる、
そんな風になれたらいいんじゃないかしらん。
キャプチャ

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