身体の反応あれこれ

土日は私は、
ヒプノの研修を受けていて、
何度もかけたりかけられたりを体験しました。

なんでかわからないのですが、
帰宅後の体調不良が激しく(爆爆)
この体調不良はなぜ?って感じです。

土曜のよるは、胃から黒いボルトを抜きだしました。(イメージで)
マジでなんでこんなの入ってるのかわかりません。
取りだすまで激痛でしたよ。

で、日曜日は意気揚々と、再び研修に行ったのですが、
また帰宅後、ヤバイ感じになりかけ、
胃痛を抱えつつ眠りました。
今朝は起きて、今は快適ですが、
これは今日は食べるものに充分気を付けたほうが良い気がします。

バレエもそうですが、クラシックも近現代のものは、近現代臭い。
どれも同じ近現代の匂いがします。
それは狂気の匂いです。
こんなものは音楽にしなくても
普通に雑踏にいけばなってる音だろ、こら、とか私は思ってしまいます。
わざわざ聞く意味が感じられない。

しかし、これを演奏してる人は楽しいと思います。
すごい楽しさだと思います。
つまり近現代の音楽はリスナーのためではなく、
演奏者のための音楽なのですよ。
または作曲者のための音楽。

私は勝手にそう解釈しています。
絶対にそうというわけじゃないけど、
まあ、そう解釈しています。

クラシックはもう一般ピープルが聴く音楽ではなくなりつつあるので、
コアでマニアな人のための音楽になりつつあるので、
音楽全体が演奏者のためのものに変わってきているのだと思います。

メロディの美しい音楽は出尽くしているし、
永遠性を表現したような、
どこまでも続いていくようなものはバッハが書きまくったし、
古典・ロマン派のような音楽は、リスナーも
演奏者も、楽しむのには充分なほど楽曲があります。
これ以上、誰かが作曲する意味はないんですよ。

でも、作曲者は何か作曲したいし、
より斬新なもの、より枠を超えたものへと発展しています。

それが近現代音楽かなと。

ただ、この近現代のものの独特の音遣い、しかもみんな似たような・・
みたいな感じがぬぐえない気がするのは私だけでしょうか。
古典・ロマン派の音楽のほうが、
よっぽどそれぞの楽曲に個性があります。
独立した個性がありますよ。
バッハもショパンもベートーベンも、
星座の神話ほどの個性がありますね。

しかしこの研修での体調不良は、
実は私はすごい緊張してるんでしょうか。
まったく無自覚すぎて、自分では全くわからないです。
私はどこにいってもそれほど緊張というものは感じないつもりでした。

演奏者ならばわかると思いますが、
人前で演奏するとかいうときの、
あの異様な緊張に比べたら、
ほぼ日常での緊張などクソみたいなものじゃないですか。

日常で手とか足とか震えるほど緊張とかないですよね?
でも演奏しようと思ったら、
まじで、足とか手とか震えます。

それが、また非日常的で面白いんですね。

この身体はこの状況でふるえるのか!みたいな面白さです。爆

でも、プロの演奏者とかでも、
ステージの上で手とか足とか震えてる人みたことあって、
妙に感動したことがあります。
その人は、自分が震えてるのを客観的に見てるみたいな感じで、
ふるえたまま、何もないかのように普通に演奏していました。

ふるえてるのを見せてくれてありがとう、じゃないけど、
そんな感じです。

人は演奏中、どんな時に一番緊張するかというと、
ガンガン弾いてる時は緊張しないですよ。
むしろ静かになってきて、最後のコーダを優しく弾くとか、
最後の最後の和音を弾くところとか、
気持ちが高ぶってきて、これ以上ないメロディを弾ききるときとか、

心がそこに連動するときに急激にふるえたりします。

そのふるえは、予想外に不意に始まるので、
肉体のその反応に結構、ビックリしてしまう事がありますが、
それも特に気に留めることはないんだなということを、
私はこのプロの人が震えてるのを見て、学びました。
教えてもらった気がしました。


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