いまこそ世界を正しく認識する。

昨日の続きですが、

じゃあ、親を尊敬すればいいんですか?

親を認めればいいんですか?

親を美化すればいいんですか?

とか思う人もいるかもしれません。

そうではないんですね。。。

え? って思う人もいるかもしれませんが、、

そうではないのです。

だいたいにおいて、親を否定する気持ちが強い人ほど、

親を美化もします。

謎でしょ?

でもそうなんです。

そういう事例を沢山見てきました。

だから、

美化もせず、否定もしない。

つまり感情的にプラスしたりマイナスしたりしないで、

親と自分の関係性を客観的に見てほしいと思います。

そうした感情を全部取り払ってこの動画を見てほしいです。

感情を全部取り払って、

あなたがしてもらったことを数字にしてほしいのです。

(数字とか。爆爆)

そして、ここで言いたいのは

「親はこれだけのことをしたのだから、だから親に従え」

ではないのです。

傷感覚が深いと、

従えと言われてるような気がしてしまいがちです。

傷感覚が深いと、

してもらったことを見るだけとかでもムカついたりしますね。

お菓子を食べさせてくれたと思ったら、次の瞬間には叩かれた、

とかいう記憶があれば、

食べさせてもらったお菓子の記憶は消え、

叩かれたことしかカウントしません。

だから、傷感覚が深いと、きちんと事実が見れなくなるのです。

でもその傷を握っている理由は、

自分は被害者であって、

相手が悪かったことを証明したい

という強い気持ちが原因ですので、

その気持ちが強い時には、この数字化はできません。

しかし、それだと、自分軸は一生持てません。

親のせいで酷い目にあった、という感覚が抜けない以上、

自分の軸は親に受け渡したままなのです。

親からうけた罵声、暴力、

その恐怖感が抜けないこともあるでしょう。

しかし、その恐怖感を握り続ける理由。

自分の心の奥の奥にある理由は、

「自分は悪くない」を証明したい気持ち。

「自分は被害者である」と言いたい気持ちなのです。

時に恐怖感というのは、コントロール不能のような様相を見せます。

しかし、そのコントロール不能の様相さえ、

自分でつくりだしています。

そのつくりだしている、奥の奥の自分に気がついてほしいのです。

コントロールを失って、周りに助けてもらいたいと思っている自分がいます。

それを巧妙に隠し、自分は悪くないのにコントロールを失っているのだ、

と言いたい自分がいます。

絶対に自分は被害者で、

絶対に自分ではコントロールできず、

絶対に良くなりたいと思っているのに、

絶対に良くなれない自分がいるのだ!と、

絶対に絶対に絶対に主張したい自分がいるのです。

その絶対に絶対に絶対に被害者だと主張する自分に気が付いてほしいのですよ。

そして何度もそのコントロール不能さを表現し、

どうがんばっても抜け出れないを証明しようとしている自分に気が付いてほしいのです。

「そんなこと言っても、あなたにはわからないわ!」といって、

さらに自分でコントロール不能感覚に入り込み、

自体を悪くさせようとしている自分がいることに気が付いてほしいのです。

それだと、自分のコントロールは自分では絶対にできない事を意味し、

それでは自分軸は一生持てないことに、気がついてほしい。

「このコントロール不能さを作っているのは自分だ」と気づいてほしいのです。

なので、どんなに苦しいと思っても、ここは抜け出てほしいところです。

あなたが自分で自分の人生を送るには、

その被害者意識から抜け出ないとなりません。

上の動画を見ると、

あなたという存在が、これだけの労働の上にいるのだということがわかります。

それを認識できなかったときと、

認識できたときでは、

自分の価値がまるで違うことを感じてほしいです。

この認識ができると、

自分の自己価値が一気にあがることを、感じてほしいのです。

この動画を見る価値は、親が素晴らしいとか、親を美化するとか、

これだけしてくれた親に従わないといけないとか、

そういう事とは全く違います。

そうではなくて、自己価値を上げるために見るのです。

あなたという存在が、これだけの労働の上に存在しているのだと正しく認識するためです。

これが心から認識できたとき、

初めて本当の意味での感謝の気持ちが沸くし、

それと同時に自己価値が一気にあがるのです。

本当の感謝が湧かないうちは、

自己価値も低いのです。

親がしてくれたことがカウントできないと、

社会にでても他人がしてくれたことがカウントできません。

私たちは、

多くの場合、当たり前のことはカウントしていません。

太陽が毎日登ることに、なんの感慨もないのです。

蛇口をひねれば水が出てくるということに、

何も感謝はないし、

電気がつくことにもなにも思っていません。

しかし、それがそうなるには、

どれくらいの人力があったでしょうか。

どれくらいの知恵の結集があったでしょうか。

何人の人が寝食も忘れて働いたのでしょうか。

そこを感じると、そこが感じれるようになると、

いきなり自分の世界は、

素晴らしい愛に包まれた世界なのだと理解することができます。

親を美化しているときというのは、

親と自分との関係の中にコミットしているというよりも、

世間からみて親は立派だから、とか、、

世間からみてこうだったし、とかに固執していて、

自分と親との関係に着目していない事が多々あります。

美化しながら、心の奥でケチをつける、という感じになると、

さらにややこしくなるのです。

こういうややこしいことを心の中で繰り広げている人は、

いろんな場面でややこしい出来事がおきます。

人を美化しながらケチをつけるので、

自分でもどこに本当の気持ちがあるのかわからなくなりがちなのです。

なので、美化するのでも、否定するのでもなく、

親と自分、という濃い関係に正しく着目していく必要があります。

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