アストラル体を手に入れよ!

神智学協会などで、提唱される身体は、

①エーテル体 ②アストラル体 ③メンタル体 ④コーザル体 の4つだ。

キリスト教では、これらを、

①肉体 ②自然体 ③霊的体 ④神的体  と言った。

東洋では

①馬車 ②馬 ③御者 ④主人 という。

それぞれ、

①第一の身体 ②第二の身体 ③第三の身体 ④第四の身体だ。

もっとわかりやすくいうならば、

①肉体 ②感情体 ③信念体(知性体) ④原因体  である。

とても面白いなと思うのは、

神智学協会では、誰でもアストラル体なんかもってるよ、

というスタンスなのだが、

グルジェフは、そうはいわない。

「アストラル体はふつうの人は持っていない」という。

それは融合を通して、激しい内的修練と葛藤を通して得られるという。

つまり非常にわずかな人しか手に入れることができない。

もしアストラル体が形成されれば、あらゆることが可能だとさえ言う。

東洋思想でいうと、それは馬にあたる。

ここで思い出されるのは、十牛図の牛だ。

きっとこの馬は牛だ。

或る日私たちは思うのだ、「牛がいない」と。

そして探しにでる。牛を見つけに旅にでる。

そしてやっと牛を見つけるのだ。

グルジェフのいうこの葛藤、

イエスとノーを繰り返した後に手にするだろうというアストラル体は、

この牛なのだと思う。

これは、

ヒプノ的には、

無意識の仕組みを知った上で、

世界が自分だったと知る過程だ!

この酷い人がわたし?

イエスとノーを繰り返す葛藤の場面。

この葛藤は、このブログを読んでるだけでは、

絶対にわからないと思う。

ヒプノを通して体験する、この葛藤と、過程は、

ときに壮絶だ。

苦しいし、悲しいし、どうにもならない。

この酷い人がわたし?

こんなに私に酷いことをした人が、わたしなの!?

ヒプノマスタークラスでは、この過渡期にいる人を、

わたしはできるだけサポートしている。

だが、

この過渡期にさえたどり着かない場合も多い。

たどり着きそうになっても、巧みに逃げる場合も多い。

この苦しい葛藤を

この葛藤を経て、その向こうにたどり着いた時、

わたしたちは馬を手にする。

本当に馬を手にするのだ。

馬を手にしたものは、あらゆることが可能だ!!

この馬を獲得する過程は、

本当に個々であって、

マジで血みどろで自分を見ないとならないから、

このブログを読んで体得できるものではないことだけは理解してほしい。

また、グルジェフの本を読んでも体得できるものではない。

時に読んでわかったつもりになっている人がいるが、

まず、わかってない。

これは潜在意識の中の強烈な治療なので、

読んだだけでわかるというものではないのだ。

ヒプノを受けて初めて自分で発見し、

初めて自分で体験し、

初めて手にするものだ。

この葛藤を超えた人は、

はじめて本当の世界へ参入権が得られるのだ。

これが、

アストラル体を手に入れる、瞬間だ。

アストラル体は、感情体と訳されるが、

きっと普通の感情ではない。肉体から発せらる感情ではない。

世界が自分だったと知る過程において、

その時私たちが初めて味わう感情がある。

それらは今まで知らなかった感情だ。

きっと私たちが今まで感じていた感情はただの肉体から生じる感情であり、

アストラル体が震えて感じる感情とは違う。

アストラル体を手に入れよ!

葛藤を超えよ!と思う、

夏の終わりでありました。

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