インドのヴェーダの中では、
親切さにおいては花よりも優しく、
主義を守るためには雷よりも強い。
そのような人を「神の人」と定義されている。
そのようになれた時に、
私達は宇宙と一体になる事も可能なのだ。
最近はやたらに、「こうあるべし」という感覚を捨てろという。
心屋仁之助さんもそう言ってる。
みぞぐちあゆかさんもそう言ってる。
それは、一つの段階としてはそうだと思う。
誤った信念、不必要な信念は手放したほうがいいし、
実際に手放さなければならない要な状況も生まれてくる。
誤った信念は、たぶん私達をどこにも導かない。
しかし、ヴェーダは教える。
神への道を死んでも手放すな!と。
そこへは強烈な信念が必要だ。
圧倒的な信念が必要なのだ。
親切さにおいては花よりも優しく、
主義を守るためには雷よりも強い。
この考えがなければ、人生は、私達をどこにも導かない。
主義を守る意識が、私達を高みへと連れて行くのだ。
達成するのが人生ではないと、エックハルトは言うけれども、
それはその段階においてはそうだけれども、
私達には圧倒的に達成するべきものがあるのだ。
ここにすべてがあることも、
宇宙意識と一体になることも、
どれだけの修行僧がそれを知るために
体験するために、
どれだけの修行をしてきたとおもっているのだろうか。
ただ、この瞬間にそう思えばそうなります、
なんていうチープなものではないのだ。
古代エジプトに過去生がある人ならばわかるだろう。
古代エジプトでは、日々休む暇もなく働いた。
そして、仕事が完璧であることを、
厳しく要求されたことを覚えているだろう?
古代エジプト人は、圧倒的な真実に突き動かされ、
それは小賢しい屁理屈は通らない世界だった。
嘘とか見栄は、
厳しく打破されたことを覚えているだろう?
能力ないことは、厳しく叱られたのだ。
だから、古代エジプトに記憶のある人達は、
今でも働き者で、完璧であろうとするのだ。
それは、そうしたときに、
初めて降りてくる神々を知っているからなのだ。
(もし、これを知らないならば、完璧であることも働きものであることも
意味のない行為だと思うだろう。)
人生を楽に生きる道は二つある。
・世間にケチつけて、自分はそれとは違うと思って生きる道。
・一生懸命生き、そうして神と一体になる道。
どちらも楽になれると思います。爆