抽象的に考える

何か問題が起きた時に
具体的に考えるのもいいが、
もっとその背景にある抽象的な概念にフォーカスすることも大切ではないだろうか。
物事には具体的なことと抽象的な事とがある。
抽象的なものをとかく嫌がる人がいるかもしれないが、
抽象的に物事が考えられない人は、
ずっと何かを悩み続ける。
頭の中で抽象的思考に慣れていなければ、
何かをカテゴライズすることはできず、
何か起きても、その度にその物事に振り回されてしまう。
しかし、抽象的に思考することができる人であれば、
その問題の核心は何なのかが理解できる。
何かをとても嫌だと思う時、
その嫌だと思う事にカテゴライズされている大枠というものがある。
その大枠は常に抽象的だ。具体的ではない。
なんか、権威主義者が嫌いなんです・なんてのも抽象的で、
その背後には、どういう理由で権威主義がきらいかという
その背景にある理由も抽象的であるはずだ。
そしてその「なんか嫌」を具体的に何が嫌かではなく、
抽象的にどういう範疇で嫌なのかを把握していなければ、
その嫌だと思うことの解決には至らない。
意味がわかるだろうか。。
つまり抽象的に思考せず、その嫌な人と具体的に別れた所で物事の本質は解決はしないだろう。
解決とは何かというと、充分な成長という意味だ。
解決することは、問題が無くなることではなく、
問題があっても大丈夫な充分な成長をするという意味だ。
別れたいならさっさと別れればいい。
しかし、別れたからといって、
その別れがどういう意味だったのか、
その出会いはどういう意味だったのかという、
抽象的な思考にまで昇華しない限り、
解決には至らないだろうと思う。
具体的な場面を解決しても、結局は人間は、その奥にある抽象的問題と向き合わない限り
解決も成長もないのだ。
いつもいつも具体的にしか考えられないでいると、
いつもいつも具体的な結果や具体的な事象にとらわれていることになり、
それは結果として、消耗していくだけだ。
物事の本質は抽象概念の中になる。
真実は抽象思考の中にある。
なぜなら、具体的現象は抽象思考から生まれるからだ。
この抽象思考は潜在意識との懸け橋である。
この世は、潜在意識で思っていることが、現象化するのであって、
その法則は絶対的に変わらない。
それは、お金の価値だってそうだ。
首相の言ったセリフ一言で、お金の価値があがったり下がったりする。
首相の考え方、思考が、お金の価値を変えてしまう。
首相が「不安です」と言えば、お金の価値は下がるのだ。
お金の価値を変えているのは、多くは抽象的な思考によるものだ。
漠然とした不安というものを抱えていれば、
その漠然とした不安が、具体的に現象化していく。
先にあった、その不安はその抽象的なのだ。
つまり具体的なことをいくら正確にこなしていったとしても、
その元にあった、抽象思考と対峙しない限り、
その具体的な現象はおこり続け、
それはまるで、ひたすらもぐらたたきをしているようなものだ。
そのような生き方をしていると、
エネルギーがいくらあっても足らない。
そうした状態から抜け出すには、
まずは抽象思考に慣れることが大切ではないだろうか。
物事を対処するときに、とりあえずは抽象的に考える。
具体的にはあとから考えたらいい。まずは抽象的に。
それから、その考えをベースに具体的対処を考えてはどうだろう。

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