学びとなる落としどころを見つける。

1月21日の記事にたいして、

嘘つきってそれは私のことでしょうか、、というメールが来たのですが、

えっと、それが読者のみなさんの誰かであることは絶対にありません。

誤解を招くようだったら、本当にすみませんでした。

そういうことですので、よろしくおねがいします。

ま、でも、犯人は誰とかじゃなくて、

こういう要素って、誰の中にもあるのだと思います。

私の中にも犯人はいるのです。

自分の要素を外に投影してみているだけです。

みているものは自分なんですよ。

だから怒らなくていいとか、悲しまなくていいとかじゃなく、

しっかり怒って、しっかり悲しんで、

そして、自分の中にある、

その悲しみや怒りをみて、

また、前に進んでいけばいいんじゃないのかなと思います。

あらゆることはメッセージ。

ただ、怒ったり悲しんだりで終わりではなく、

何が問題だったのか、どこがいけなかったのか、

ちゃんと解明して、解明すると、それがトラウマにならず、

次に進むための技術になります。

そういう落としどころに持って行くような生き方をして欲しい、

私はそう、自分にも他人にも思うのです。

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