他人が酷いひとに見えるとき(現象とはなにか)

他人が酷い人に見えるとき、

実はその酷い行為は自分の中にあるんだと思います。

その時は、自分の中にある、人を優しく思えてない部分、

人をジャッジしている部分、

そこを見てない。

「あの人、優しくない」って言ってる時、

実は自分が一番優しくないんだよね。爆爆

(あっちゃー、痛ててて。爆爆)

それが見えてないから、

酷い人と関わらなければならなくなる。

優しいことが素晴らしいとか、

正しいことが素晴らしいとか、

そういう主張をするのは簡単だけれども、

そうすればするほど、

いつでも正しくない人や優しくない人に

関わらなくてはならなくなる。

実際にそうなんだ。

なぜなら酷い自分を外においやるから。

だから外からくるんだよ。

本当は、その酷い行為は、

自分の中にあるんだよ。

そして自分の中から外に追いやるから、

だから外で起きてるだけなんです。

本当は自分の中にあるんだよ。

だからさ、みんなOKなんだよね。

他人を酷いとかいってもほぼ無意味。

それって自分の中にあるんだもの。

そして、自分自身が、

これは自分じゃないと追いやってるものが、

自分の中にあるものなんだ、と

認めたとき、

そう、認めたとき、

がらーん、って見える世界は変わっていくんだよね。

がらーんって世界は変わる。

そうして、関わる人もみんな変わってしまうんだ。

もし、優しくない人とか、

正しくない人とかと関わりたくないって思うなら、

自分の中にそれがあることを認めたほうが早いんだ。

それを認めないうちは、

ずーっとそういう人と関わるんだよ。(痛ててて。爆爆)

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