目覚めよと呼ぶ声がきこえ

バッハのカンタータ 目覚めよと呼ぶ声が聴こえ


聖書に「目覚めていなさい」という一節がある。
内容としては救い主がいつ来るかわからないから、目を覚ましていなさいという内容だ。
いろんな場面でこの目覚めていなさいとイエスが言うシーンがあるが、
私はこの花婿を迎えに・・っていう話しが好きだ。
「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。ところが、花婿が来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」
昔、夢をみたことがある。
昔といっても本当に昔で、25歳頃みた夢だ。
聖人が部屋にやってきて、
「なぜみな寝ているのか」と尋ねられた。
私はものすごく慌てて、
なんとか皆を起こそうとするのだが、
そのことに成功せず、
聖人が帰ろうとするところを
なんとか引き留めようと必死というような夢だった。
起きたときに、どうにもならない気持ちになった。
引き留めることは無理なんだと思った。
そう、目覚めていないのは自分の中の誰かなのだ。
聖書はなぜ、救い主を待つのだろう。
そんなものは待っても来ないと思う。(爆)
誰も自分を救ってなどくれない。
待つとかおかしいなと思う。
救い主は基本的には我々の中にいるのだ。
目覚めたものだけが発見できるのだ。
そして、5人の愚かな花嫁も、5人の賢い花嫁も、
自分の中に存在しているのだ。

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