今の時代はすごい。
あらゆる神秘体験も、そこここで体験できる時代がきた。
以前にもこのブログで書いているが、
昔、スペインに住んでいた時、
スペインのカミイーノ(巡礼路)を伝って、
ハカから、サンティアゴ・コンポステーラまで、バスや電車を使って旅したことがある。
バスや電車を使っても、サンティアゴ・コンポステーラにたどり着いた時は感慨深く、
「おお~とうとうここまで来たか」という気持ちになった。
巡礼路には、そこここにキリスト教信者が体験した神秘体験が伝説として残っていて、
命がけで巡礼した人達の息遣いが、今でも、その巡礼者を支える街々で感じられる。
途中でアビラにも寄った。
アビラの城壁の中のパラドールに泊まった。
アビラの城壁の町は小高い丘の上にあって、
アビラの聖テレサの修道院は城壁の外にある。
丘の上から、テレジアの修道院が見渡せる。
聖テレサには、はだしの修道女とかいう別名があって、
冬でも素足にサンダル履きだったとかいう。
聖テレサについての詳しい記述はこちらをご覧いただきたい。☆
聖テレサがその法悦にであったという部屋も行った。
その部屋は、非常につめたい部屋だった。
こんなところに絶対に住みたくない、冬とかどうすんねん、、というような、
つめたい部屋だった。爆
テレサの書いた日記も読んだ。
それはなんだか、
私にはとても幼稚な小学生の感想文みたく感じてしまったのだった。
わわわ、こんな精神で修道女してたのか、という驚きが私にはあった。
テレサが素晴らしいのは、私は彼女の政治的手腕だと思っている。
真面目で純粋でありながら、頭がよく、
他への演出の仕方もよくよく知っていた。
だから裸足だったのだ。
裸足で、アピールし、人の心を上手くつかむ心得を熟知していたし、
組織をまとめて運営していく力があったのだと思う。
「組織の運営&他へのアピール」 というならば、
巡礼路も、そこはキリスト教とイスラム教とのし烈な攻防戦を繰り返し、
キリスト教としては絶対に取られたくない地であった。
支配層としては、
そこを巡礼路とし、一般ピープルに巡礼させ、歩かせることによって、
キリスト教の支配を守らせたわけだ。
イスラム教がこれ以上入ってこないための、
最前線であり、その戦士に、敬虔な信者を配置したと言える。
しかし、そこを歩く人々は、そんな事とは別に、
自らの信仰のため、自らの心の内を旅するために巡礼していた。
色々な思惑が交錯する中でのその巡礼路はなかなか奥が深く興味深いものがある。
聖テレサというと、その神秘体験とかが注目されがちだが、
彼女もまた、政治と民衆との間に位置していた。
神秘体験は、今の時代の人は誰でも体験できると思う。
ただこの時代は、珍しかったのだろうし、
またその神秘体験さえ、組織やキリスト教を崇拝するための
マインドコントロールの材料にもされたのだ。
そう考えると、今はほんと、すごい時代に入ったなと思う。
まじ、すごくないか。
あらゆるマインドコントロールの手法を熟知し、
熟知したうえで、その意識の上に行くことができ、
その上で、さらなる神秘を求めている。
チープな神秘体験はもういつでも体験できる時代に入ったのだ。
すごい。すごいじゃないか。