メールが来ました。
昨日からの階層の話すっごく楽しくてビンビンきています。
で、質問なんですが、音楽のことに限って階層が上がって少し経つと、ここはさらに上の階層のどん底じゃないか~と分かってガガーんとか、H12にすっ飛んだあと、あーここもずっとむこうに壁がある、と知覚してどよ~~んとなるのは、自分で次々課題が見えくるから、自分で自分のブロックをしてしまっているのでしょうか? 最近このパターンの速度が速くて速くて、それだけ上昇気流に乗っているんだ!と思いつつ、パターンから抜け出せないのでメールさせていただきました。自覚してないだけで、音楽以外でもそーなのかも。やはり恒星ヒプノに参加すべきとか? 谷原さんから見たら、いや単にきさまの練習不足ダ!てのはなんかありそう… ブログでヒントいただければ幸いです。
ヒント・・うーん。
どうでしょう。まぁ、その、上には上があるんだなとわかったら、
その上に行きたいと思うのであれば、そこを目指せばいいんじゃないでしょうか。
次々課題が見えてくるならば、
その課題を一個一個クリアしていけばいいのではないでしょうか。
私は、「今の自分が上の階層のどん底」とかは思わないタイプなんですよね。
目指すものがあれば、そこに向けてどうしたら良いかを考えて、
対策を練って、それをするだけ、という感じです。
落ち込むとか、ががーんとか、どよーんとか、、ないんですよね。。
それは何故 無いのかというと、わからないですけども、
子供のころからなかったです。
中学生とか高校生の時は、
どうやったら落ち込むとか気分がブルーとか体験できるんだろう、と
真剣に考えて、こうしたら落ち込めるんじゃないか?とか、
落ち込んだフリとか、色々ためしてみましたが、
できませんでした。爆
気分がブルーな人とかみると、「カッコいいなぁ」と憧れたものでした。
しかし、私にはそれは体験できなかったです。
ピアノの練習とかに関していうならば、
私はあまり要領も良くないし、
小さな頃から圧倒的な訓練を受けてきた人とは比べものにならなかったですが、
ただ、努力だけはできたんですね。
そして、それが面白かったんです。
音楽院に行っていたころ、
私はある数小節のパッセージが弾けなくて、
夏休みの一夏を、毎日その数小節しか練習していませんでした。
来る日も来る日も来る日も、
その数小節しか練習できませんでした。
いい加減、他の曲が弾きたいと思ったけれども、
なにかピアノを弾くこと以外の他のことがしたいと思ったけれども、
何もすることができずに、それしかしていませんでした。
ある日ある時、事態は変わっていました。
その数小節が弾けるようになっている自分がいたのです。
それはものすごい喜びでした。
確かにそこだけ弾けても、それは糠喜びで、
まだまだ先があります。曲として完成させる道は遠いですが、
それでも、私はいつも楽しかったんですよね。
音楽に関していうならば、
上達のコツは「良い先生に習う事」。 これに限ります。
音楽というのは、テクニックじゃないんですね。
そのテクニックじゃない部分を教えられるのは、
ほんのひと握りの先生です。
テクニックじゃない部分というのは、なんですか?というと、
非常に霊的な部分なんです。
先生が音楽から霊力をしっかりと受信してなければ、
教わることは何もないです。
作曲者がこの一音に感じていたものがなにか?
そこが知覚できる先生からじゃなければ、
教わる意味は何もないんです。
私の師はいつでも、
最初の一音の出し方から、ダメだしするような先生でした。
音色から、タッチから、音の意味から、そこに含まれる霊的なものまで、
完璧に弾くことを要求されました。
1時間のレッスンで、3小節しか進まないとかザラでした。
しかし、その3小節が完璧に弾ければ、後は弾けたも同然なのです。
霊的には、そうだと思います。
その空気と色がしっかりわかれば、
後は技術と、構成力が問われるだけです。
レッスンいつも、哲学教室のようでした。
「今の音では、あなたは心のほんの一部を使って出しているに過ぎない。」とか、
「細部に注意深い自分と、全部を高いところから見下ろす自分の二つを持たなければ演奏できない」とか、
「あなたも、演奏しながら、本当に『あら?』と思わなければ、ここで『あら?』という音は出せないのよ」とか、
(ショパンの曲とかは、よく途中で「あら?」とか「はっ・・」とか 啓示が降ってくるシーンがありますよね)
その先生から語られる話しが面白くて面白くて、
私はただただ夢中でピアノにのめり込んで、
そうしてすっかり世捨て人のようになっていました。笑
他に何もいらないと思っていた気がします。
楽器から教わることって、すごく沢山あるんですよね。
で、それを始めてしまうと、本当に面白すぎて、
のめり込むと思うんですけど、
人と比べたら、上には上がいますし、
良い演奏家はいっぱいいますし、CDもいっぱいあるし、
わざわざ自分が演奏しなくても良いんじゃないか?
とか思う時もあるかと思います。
そう思うなら、楽器は趣味にしておいて、他のことしたらいいですし、
でも、霊性を高めるには、楽器くらい良いものはなくて、
自分の魂と向き合って、磨きたいと思うなら、
真剣に取り組む価値があるんじゃないでしょうか。
ただ、でも、そう思わせるような
霊性の高い良い先生はあんまりいなくて、
私はたまたまラッキーだったのではないかと思います。
自分がなぜ、落ち込んだりしない人なのかというと、
たぶん、何かと自分を比較して、
今の自分のレベルを感知して、
「これではダメだ」と思った時に、「落ち込む」という発想そのものを持ち合わせてない気がします。
「これではダメだ」と思った時に、まだ、やることあった!と嬉しい感じがします。
この先にまだ冒険があるんだ、という感じというか。
自分のレベルに落ち込むというのは、
学校教育の悪の副産物ではないでしょうか。
学校教育はそう感じるように子供を仕向けています。
人と比較して落ち込むように教育しています。
出来ないと不幸になると思わせています。
それはこの世の最大の嘘です。