人生を生きる時に、これは必要だなと思う能力として、
自分を客体視する視点だと思うんです。
これができない人は、
異様な自己肯定や、
異様な自己否定を行ってしまいます。
あの、たとえば、猫が沢山群れてたとして、
猫に個体差はあると思いますが、
大まかにいって、全体的に「猫」ですよね。(なんだそれ。爆)
同じようにですね、私たち人間も、
個体差はあるけれども、
大まかにいって、全体的に「人間」なんです。
そこにそんなに差がないこと、わかりますか?
ま、そりゃ、細かくみれば色々あるかもしれませんけど、
大きくざっくりいって「人間」なんですね。
「人間じゃない人」はいないんです。
どんなに「おれは宇宙人だ」とかいってたり、爆
「おれはアンドロメダから来た!」とかおっしゃってもですね、爆
客観的事実として、人間なんですよ。
そんな人をみたら、
「おまいは人間だ、こら。残念でしたね、」って言ってあげましょう。
夢見るのは自由ですけど、
実際問題として人間なんです。
そしてたいして人間に差はないんです。
この視点を持つことが、第一歩です。
この視点が意外にもってない人が多いのです。
自己肯定感の高すぎる人には言いたいですが、
「あなたは、そんな選ばれた民ではありません。」笑。
別に人間以上の特殊な能力はないですから、安心してください。
その力を世界につかわなくても大丈夫です。
ご自分のために生きて欲しいなと思います。
また、自己肯定感低いかたに言いたいですが、
あなたはそんなヒドイ人間はありません。
ちゃんと能力を兼ね備えていますし、何でもできるんです。
ただ、思い癖がついてるがゆえに、
いつも、できないとか、自分が悪いとかというような思い癖がついてるが故に、
エネルギーが溜まっていってないのです。
もっと自分を正確に見る事ができれば、自分が日々成長していることがわかりますし、
猫がみんな可愛いように、人間であるあなたも可愛いのです。
存在しているだけで、ほとばしる可愛さを持っているのです。
でもほとばしる可愛さを持ってるからといって、
選ばれた民だと思うのは違うのです。
みんなたいして違いはなく、
みんな平民なんです。
選ばれた民なんかいないんです。
その視点が獲得できたとき、
初めて、本当にできることが見えてくる。
自分の能力でできること、
できることをすることの喜び、
生きる喜びがわかってくる。
生きる喜びがわかりませんというのは、
なにか幻想に取り憑かれているからなのです。