私は、子供の頃、
自分が幸せすぎて、幸福感がいっぱいで、
1人でむせび泣く、そんな子供でした。笑
優しい母に、立派な父。
もうそれだけで、
胸がいっぱいで、
涙がでました。
1人でこっそり泣くのです。
小学生時代まではずっとそんな感じでした。
どうして自分はこんなに幸福なのかと、
こんなに幸福ならば、
自分は何か、世に恩返をしなくてはいけないのではないかと、
よく思ったものでした。
でも、子供でしたし、何をしていいかわからず、
時々、ものみの塔の人が置いていく「神」という言葉に、
胸打つものがあり、
しょうがないから、神様に「ありがとうございます」と言っていました。
そのくらいしか、できることがないように感じたのです。
私のように、優しい母に、立派な父の元で過ごした人は、
成長の段階で、どこかで、自分から親を否定しないとならない時がきます。
そうでないと、大人になれないからです。
どこかで、親を、否定しないとならない。
その、ライオンが子供を崖から突き落とすように、
自分で、親の作った温かい家庭から、転落しないとならないのです。
親の愛は充分に、十二分に知っている。
しかしそれを否定しないことには、
自分の新しい家庭を作ったり、
自分の成長のための旅ができません。
でも親が嫌いだった人は、
大人になる段階で、
親の愛を知る必要がある。
でも、親が好きだった人は、
自分から親を否定しないとならない。
でなければ、その先に行けないからです。
大人になるというのはそういうこと。
よく毒親という言葉がありますが、
毒親だなんて思える親の元で大きくなった人は、
さっさと、きちんと親を否定し、
自立へと向かっているのです。
親が良い親であればあるほど、
自分で親を否定しないとならないです。
自分で崖から転落しないとならないです。
どちらも、きちんと崖から転落し、
その後に、親の愛を再確認しないとなりません。
絶対に必要なのが、崖からの転落です。
そして愛の再確認。
この二つの手順はどうしても必要になる。
これは、今、お子さんを育てている方にも、
ぜひ頭の片隅に入れておいてほしいところ。
そして、あなた自身の成長にも頭に入れておいてほしいところ。。
とってもハマっている、行川さをりさんの、さよなら
さようなら 谷川俊太郎
ぼくもういかなきゃなんない
すぐいかなきゃなんない
どこへいくのかわからないけど
さくらなみきのしたをとおって
おおどおりをしんごうでわたって
いつもながめてるやまをめじるしに
ひとりでいかなきゃなんない
どうしてなのかしらないけど
おかあさんごめんなさい
おとうさんにやさしくしてあげて
ぼくすききらいいわずになんでもたべる
ほんもいまよりたくさんよむとおもう
よるになったらほしをみる
ひるはいろんなひととはなしをする
そしてきっといちばんすきなものをみつける
みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる
だからとおくにいてもさびしくないよ
ぼくもういかなきゃなんない