おはようございます。
私は、今日は、
動画の編集に命かけたいって思います。爆
いや、昨日もずいぶんやったんだけどさ。
今日もやるよ。
階層の違いって、すごく大事なことなんですよ。
例えば、子供の視点と親の視点って、
ただの階層の違いで、
お互いに、向かっている方向は同じなんです。
よりよく生きよう。素敵な人生にしよう。
そういう思いが、子供にも親にもあります。
ですが、子供の階層にとって感じる、素敵な人生は、
今日楽しく生きる、に限られているんですね。
今日が快適である、みたいなこと。
今日、みんなに愛されて、みんなに認められていて、快適である。
みたいなことが子供の階層にとっての素敵な人生です。
ですが、大人の階層になると、
みんなに愛されて、認められて、快適である、を手にするには、
それ相応の人間である必要がある、とわかっています。
もし、傍若無人で人を傷つけることにも何も感じず、
散財し、好きなものを好きなだけ買い込み、
身体も全く労わらず、好き勝手にやってたら、
周りに迷惑しかけない存在だったら、
その人間は、みんなに愛されて認められて、快適に過ごすなんて、
ことがでに入らないということを大人は知ってるんですね。
だから、迷惑をかけないこと、お金は湯水のように使ってはいけないこと、
心のままに買い物してはいけないこと、
人を傷つけるようなことを言ってはいけないこと、
などなどを親は教えるわけです。
この時、子供の目的と親の目的は同じです。
「よい人生を送ること」です。
ですが、子供の方向性と、親の方向性とが、
近視眼的になっていると、
逆に感じるんですね。
進んでる方向が逆じゃないの?って。
でも、大きな視点でみたら、目的は同じなんです。
「より良い人生をおくること」なんです。
このように、階層が変わると、一見逆の方向にすすんでるような気がします。
でも高い視点で見たら、同じ方向に進んでいるんですね。
しかし、下の階層にいる時は、
上の階層にいる人の視点がわかりません。
上の人が、傍若無人にみえたり、なにか、
支配したり、コントロールしているように感じたりしてしまいます。
単にいる階層が違うんですね。
全体を見ているか、個人をみているか、
では階層が違います。
会社の経営者と、従業員では、
見ている階層が違いすぎるので、
従業員は経営者の言ってることを理解しきれないと
感じることがあるかもしれません。
よく、議論とかはじまって、
違いに意見が食い違うとき、
こうした時に、階層の概念がある人にとっては、
全てが、矛盾なく理解できるのですが、
階層の概念がないと、全てが矛盾だらけで、
自分が今何をしたらいいのかわからなくなってしまいます。
世界がどうなってるのかも、さっぱりわからなくなるでしょう。
階層の理解は、全人類に必要だと思うんですよね。