愛情乞食からの脱却

おはようございます。

今日はヒプノマスタークラスの7日目があります。

明日はヒプノマスタークラスの最終日。

コロナ騒動で、だいぶ延びました。


さて、

私達の中には、「幼児決定」という、

幼い頃に思い込んだことが潜んでいるのですが、

それが、

「親に認めてもらいたい」とか

「自分だけをみていて欲しい。」

というような希求を生み出していることが多いです。


でも、親になればわかると思うのですが、

親って、子供を認めているか認めてないかって言ったら、

完全に認めているじゃないですか。


その認め方は、子供の望んでいる認め方とは違うかもしれません。

親の希求は、

「この子を守りたい」という気持ちに終始するんです。

この時、認めるも認めないも、

親にとっては、子供の存在がデカすぎて、

認めるとか認めないとかいうレベルではないんですね。

そのくらい親にとって子供の存在って大きいんです。

だから、認めるとか認めないとか、そんなレベル感での話は

全部すっ飛んで、「この子を守りたい」と思ってるんです。



この「この子を守りたい」という気持ちが暴走していけば、

「モンスターペアレント」にもなるし、

「教育ママ」にもなるし、

鬼のような母にもなるし、

母親の視線が、「世間」に向いていれば、

教育ママ系になりますよね。


同じ「この子を守りたい」という気持ちでも、

どうしていいかわからずオロオロする母もいれば、

「見守る」という態度で接する母もいるでしょう。


「心配ない」という気持ちが大きい母ほど、

放任主義的になりますし、

「心配」が多い母ほど、

過干渉になります。

表現がどうであったとしても、

根底にあるのは、同じ「この子を守りたい」という気持ちなんです。

でも、子供が求めているものって、

「自分だけをみて」とか

「兄弟姉妹ではなくて、私をみろ」とか、


そういう気持ちが、奥底に自覚なくあることが多々あって、

放っておくと、

愛情乞食みたくなってるんです。


こうした気持ちが、

恋愛をこじらせたり、

夫婦関係をこじらせたり、

仕事の人間関係をこじらせたり、


はたまた、

平気で人の時間を奪ったり、

人の手をわずらわせたり、、

するようなことに繋がります。


愛情に餓えた、

愛情乞食みたくなってしまう。

くれくれ乞食になる。


こんな時、絶対に才能は延びません。


絶対に、、です。


そして楽しい人生もこないんです。





人は、自分を誰かのために使った時、

人に貢献したとき、

社会に貢献したとき、


はじめて、自分の才能が開花するんですね。


世界は自分なので、

自分という個人の壁を押し広げて、

世界に貢献していくときに、

やっと自分は

種から目をだし、

「自分」という形を形成することができるのです。

それまでは「自分」ですらないんですよ。



私達の人生は「自分」を形成するためにある。



そのために、

愛情乞食になりがちな、

私達の脳のバグを取り除いていく必要があります。


それがあると、世界に社会に人に貢献は出来ないからです。

これができないとき、

「自分」を形成することさえ、できない。

人生のフラストレーションの多くは、

ここから派生しているんです。

自己実現を疎外するのも、ここ。

楽しい人生を疎外するのも、ここ。


私達は、もっと楽しく生きることができるんですよ!!!!


意識の旅研究所の講座はこちらから


  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。