「自分が悪くないことを証明しよう」とし始めてしまうと、
人生はそれだけのために費やされていきます。
こうした人がこの世にはなんと多いことか!
罪悪感を持てといっているわけではないです。
罪悪感というのは、
偽の反省なのです。
私が悪かったからあなたがこんなになってしまったのね!
といって、自分も周りも下げてる。
これって、実は反省じゃないんです。
偽物の反省なんです。
反省というのは、改善するためにするものであって、
この罪悪感というのは、どこにも改善案が存在しない。
しょうがなかった!
しょうがないわたし!
どうしようもないわたし!
現実変えられないわたし!
才能ないからダメなわたし!
ここで訴えているのは、
「現実はかわらないのよ!しょうがないでしょ、
だって私能力ないから!この程度しかできないのよ!」
何をどう改善したらよくなるかという視点にシャッターを閉めてるのが罪悪感です。
見たくないのですよ。
「しょうがない」ってことにしておきたいのです。
心理の奥に、自分の欠点をまじまじと見入り改善するのは骨が折れる
って思ってる可能性があります。
本当の意味で、「自分が悪かった」とおもうのは、
罪悪感とは違うのです。
まったく次元の違う話しなのです。
この本当の意味で「自分が悪かった」と思うならば、
いくらでも改善できるのです。
でもね、多くの人は、真の意味で負けようとしません。
きちんと負けません。
「自分は悪くなかった」にしがみつくのです。
グルジェフはそれが人間のクンダバッハ(緩衝剤)だと言いました。
それがあると、真実が見えるようにならないと言いました。
幻のような人生しか送れないといいました。
この「自分は悪くない」にしがみついてしまうと、
本当に物事は改善していきません。
自分は悪くなかったを証明するために、
ありとあらゆるパフォーマンスをしてしまいます。
これをしだすと、本当に疲弊します。
人生がそれだけに費やされてしまいます。
無駄じゃないですか?
それよか、きちんと負ける。
自分の間違いをきちんと認める。
これができたとき、本当の飛躍が始まります。